《八丁坊主》

空也上人などに始まるという「鉦叩 かねたたき」は中世にはさまざまな民俗芸能に発展し、江戸時代には大道芸や門付芸としてひろまった。歌念仏・八丁鉦(はっちょうがね)・念仏申(ねんぶつもうし)などと言われる一群の巷の芸能者がいた。「八丁坊主」もその一種に対する呼び名である思われる。

『人倫訓蒙図彙』巻七にある「八丁鉦」・「歌念仏」と「仏餉取 ぶっしょうとり」を紹介する。

まず、「八丁鉦

首のまわりに紐を掛けた鉦を並べてつるし持ち、それを素早く打ち鳴らす、という一種の曲芸。図ではまだ6個しか吊していないが、足下には紐が付いた鉦が二つ転がっている。おそらく、段々と鉦の数を増やして難度を上げていって、見物から喝采をもらうのだろう。太鼓を打って盛り上げる者がバックについている。

「うた念仏」と「おふつしやう お仏餉」

歌念仏」について、『人倫訓蒙図彙』は次のように述べている。
念仏は)それに節をつけてうたふべきやうはなけれども、末世愚鈍の者をみち引き、せめて耳になりとふれさすべきとの権者(ごんじゃ、神仏の化身・権現)の方便ならん、それをなお誤りていろ/\の唱歌(しょうが)を作り、是を鉦に合せてはやし、浄瑠璃、説教のせずといふ事なし。末世法滅の表示なり。かなしむべし、なげくべし
鉦を叩いて調子を取りながら、浄瑠璃や説教浄瑠璃などの節に合わせて念仏を唱える。「近世の門付芸の一種。元来は鉦かねなどをたたきながら念仏を歌うように唱えたところから起こり,その節で歌や浄瑠璃の詞章を歌い語る音曲になった。元禄(1688~1704)から享保(1716~1736)の頃に流行。」(大辞林

上図右下の「お仏餉 おぶっしやう」の画像が、わたしたちには参考になる。この者が腰に差している大型の「杓」(ひしゃく)が、晴風の「八丁坊主」右の坊主が持っているのがこれであろう。下引の初めの茶色部分は内容を略述した。
都の風俗として、毎朝のご飯の「初尾」(初穂のこと)を本尊仏に捧げるが、それを竹筒にいれて庭の隅に釣って置くと、寺々から「仏餉取り」が回ってきて、杓に取っていく。
お仏餉とは)一種の坊主、老若に限らず、褊綴(へんとつ)に菅笠、わらじ、脚半して、杓(ひさく)腰にさし、さもいそがわしく口のうちにて何やら言ふかと思へば、筒を引きかたぶけて、何のえしゃくなしに取っていぬるなり。
毎朝のご飯の「初尾」を自動的に回収していくシステムが出来ていたのが興味深い。その担当の坊主が「仏餉取り」で、お礼も言わずに取っていく。
タイなど東南アジアの仏教国では、現在でも毎朝坊さんたちに食物を捧げるが、捧げる方がお礼をし坊さんたちはわりと平然としている。仏へ喜捨をなす機会を庶民に与えている坊さんの方が本質的な慈善を為している、という考え方である。


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