【天王寺の庚申堂】

『世渡風俗図会』第1巻をめくり始めて、絵が出てくる見開きの二つ目、第一巻-03「臙脂繪賣」と04「」が見開きで出て来る様子が、右図。
この図の左頁に04「同」があり、右頁に03「臙脂繪賣」がある。これを見れば、「同」の意味は“「臙脂繪賣」と同じ”という意味であると誰しも思うところだ。

だが、04「同」の女性が持つ料紙らしきものに描かれているのは、「べに繪」とは思えないような単純な図形で、腑に落ちない。わたしはしばらく疑問のままに放置していた。

一無軒道治『難波鑑』(延宝八年1680の序文)に04「同」の原画と思われるものがあることに偶然気付いた。その第六卷にある「かうしん堂ゑん日の図」(次図)である。『難波鑑 なにわかがみ』は江戸時代前期の文献で大坂を紹介している。また、江戸時代後期の、民俗考証に定評のある柳亭種彦『用捨箱』が「天王寺の庚申堂」について詳しく取り上げていた。

『難波鑑』は江戸時代前期の刊行で、大坂の名所・旧跡・年中行事・祭礼などを、挿し絵を入れて紹介している(国会図書館デジタル公開)。その第六卷にある「納庚申おさめのかうしん」の挿絵「かうしん堂ゑん日の所」は、その年の最後の庚申の日に天王寺の庚申堂が「願成就いわゐおさめの、庚申まふで」でにぎわう様を描いている。

この絵は庚申堂とそこに参詣に来た人々が中心であるが、それ以外に売店や七色菓子を売り買いしている様子が描かれている。傘をさしかけた店が右上にあるが、これが巻一-01「庚申七色菓子賣」の原画である。売り手の男の人相や右手が欠けていることなど違いもあるが、笠や男の位置や姿勢など、台の上の品物や炎の様子などはまったく一致している。


右下には向かい合った男女が描かれ、被り物をした女性が料紙を両手で持っていて、尻はしょりして脛を出している若い男が浅い箱を抱え持っている。男の右手は実は箸を持っている。詳細を見るために、『難波鑑』を拡大して切りとった画像を、世渡風俗図会と同サイズで並べて掲げる。

難波鑑世渡風俗図会巻一の04「同」

右の晴風の人物は肉筆であることもあるが、柔らかくふっくらとしているが、服装の模様などはほぼ完璧に写されている。

女は料紙の上に七色菓子を取り並べて持っている。若い男は七色菓子の売り子で、七色菓子を並べた箱を抱え持っていて、右手に箸を持っている。箸を用いて菓子をつまんで客に渡すと思われる。

七色菓子を売る際に、箱を用い箸を使用したことは、柳亭種彦『用捨箱』に図入りの詳しい説明が記載されている。『用捨箱』(天保十二年1841)は、近世初期の市井の風俗や言語などに関する考証であるが、その手堅い手法が特徴で評価が高い。
『用捨箱』は)ほとんど刊年の明確な俳書を援用して実証し,また古版本の挿絵や古画を模写,透写して多数載せて画証としており,所説に信憑性が高い。引用資料中には現存不明のものもあり,資料的価値も高い。(鈴木 重三 「世界百科事典」

『用捨箱』(中十三)に「七色賣」という節があり、そのなかに『世説愚案問答』という書物から図を引いて、庚申詣で七色菓子を売るのに底の浅い箱などを使うことを説明している。図が鮮明でないので、読解を付けておく。    
かやうに こしらえたり
ふろしきに つゝみ さげて持たる也
竹の箸にて ハさむなり
「七色賣」の中に『世説愚案問答』に曰く、として述べているところを紹介しておく。
昔は庚申の七色なゝいろ、甲子の七色とて鳥目てうもく一銭にて七色の供物を売りたり。その調とゝのへやうハ、干菓子、砂糖大豆まめ、せんべい様の物を調ふ。さて供物の拵へやうハ、(中略)小き箱、又は文匣ぶんこなどに仕切をして供物を入たり。(中略)外に袋財布をいれ持ちたるもあり。又、箱の中に仕切を大きにして、銭を入れたるもあり。是も後に紙に包ミ、仕切りなしの箱に入れ侍る。(以下略
【略解】七色菓子を1銭で売っていたが、そのお菓子は干菓子・砂糖大豆・煎餅などで七色をととのえ、浅い箱に仕切をしたものに菓子を入れ抱え持って売り歩いたが、お菓子を扱うのに箸を用いた。お金を入れる仕切を作っている場合もあった・・・云々。
箱には7つの小さめの仕切と、お金が入れてあるらしい大きめの仕切がある。
なお『世説愚案問答』三巻は、作者・山崎尤最、享保十七年(1732)刊行であるが、随筆大成などに入っておらず、勿論デジタル化公開もされていない。わたしは『用捨箱』で知るだけである。
ともかく、晴風が写した天王寺の「納庚申」の様子は、江戸前期の風俗を正確に表していることが分かる。

『難波鑑』より5年前に、同じ著者、一無軒道治による『芦分船』六卷(延宝三年1675)が刊行されている。やはり絵入りの大坂案内で、第一卷に天王寺とならべて「庚申堂」がある。その挿絵が売店を描いていて興味深いので、直接『世渡風俗図会』には関わらないのだが、ここに引いておく(『仮名草子集成』第十一卷(東京堂出版1990)による)。


傘を差し掛けた売店がふたつ出ている。七色菓子だけでなく、小さな飾り物のようなものも並べている。子供連れの女が店を見ている。子供は母親になにかおねだりしている様子がうかがわれる。左の店では傘の下に頭を入れた男が、なにか売り子に尋ねている。武士らしい二人連れが何事か語りながら歩いている。境内にはおんどり・めんどりがヒヨコを連れている。
庚申堂では若い娘が鉦鼓(鰐口?)の綱に手を伸ばしている。この鉦鼓は、最初に掲げた『難波鑑』の図にあったものと同じものだ。


◇+◇


最後に『世渡風俗図会 巻一』を綴じる際に誤りが生じている点を、詳しく見ておく。ここに述べることは小論の創見であろうと思う。
『世渡風俗図会 巻一』.pdf(国会図書館からダウンロードしてきたままのPDF文書)をていねいに見ると分かるが(鏡字に透けて見えたりしていて、袋綴じの裏面が何か分かる)、表紙から順に見ていくと次のようになっていることは明らか。 となっている。上で考証したように01「庚申七色菓子売」と04「同」が同一原画から描かれているので、04「」は04「01庚申七色菓子売に同じ」の意味である。したがって、これら2図が一つの見開きなるように綴じられていないとおかしい。「3.」と「4.」が逆になったのである
したがって、次のように訂正すれば
01「庚申七色菓子売」と04「同」が見開きになり、正しい配置となって現行のような誤解は生じない。また05「太神楽打」と02「鏡磨」および03「臙脂繪賣」と06「千年飴賣」が見開きになっても、特に問題は生じない。後者の03「臙脂繪賣」と06「千年飴賣」については丹繪のテーマが並ぶので、より良いと言える。



表紙にはいずれも晴風の手によると思える題簽が貼ってある(右図は第八卷のもの)。
第一巻~第八卷までの題簽が8つあるわけだが、いずれも「世渡風俗図会 一」のような同一の形式で書かれている。右図はそのうちの第八卷の題簽である。「世」が異字体で書かれている(この異字体はJIS外の字なので、ここでは表さない)。
第一巻から第八卷までの題簽8つについて、すべて右図の様な異字体が使用されているわけではなく、異字体を使っているのは一,三,四,八巻の4つ、普通の「世」を使っているのが残りの二,五,六,七巻である。(また、第八巻だけは、右図のように「八」の左に小さく「止」とある。最終巻の意だろう。)

『世渡風俗図会』が帝国図書館に収蔵されたいきさつは不明であるが、明治37年1904に購入したことは判明している(「清福図録(61)」による。拙論「『世渡風俗図会』とは」の第3節に述べた)。帝国図書館が題簽を作製したのだとすれば、8つの題簽の一部に異字体を使う不統一はまず考えられない。このことによって和綴本に製本し題簽を作ったのも晴風自身であろうと推測される。したがって、第一巻初めの乱丁は晴風によると考えられる。

おそらく、絵の勉強を兼ねて江戸時代の本などを写しながら、晴風は適当なひとまとまりができるごとに1冊にまとめたのではないだろうか。題簽の「世」の異字体が順不同に出てくることもそれを暗示している。
その作業の中で「世渡風俗図会」という巻名も生まれてきて、過去の風俗図だけでなく、明治の風俗を写生する作業に取り掛かっていったのであろう。終わりの六、七、八巻はすべて明治以降の風俗図のようである。

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