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第六巻 33
行灯に「煮込」と「にこみ」 「荷家臺」は不明字としていたが、見直している内に“荷屋台”のように見えてきた。図は二輪だから担う屋台ではないが。 「底抜け屋台」(奥むさし飯能観光協会)という祭りの屋台を説明した興味深い記事の中に、『川越氷川大明神祭礼絵巻』(文政九年1826)の中に「底抜荷家臺」という語が出ている、と述べられている。ここで言う「底抜け」とは、通常は祭りの囃子方が乗って演奏する屋台に床が無く、囃子方は屋台の中で地面を歩きながら囃を奏するのだという。 底抜屋台は明治期まで江戸東京圏をはじめ各地で目にすることができましたが、その後祭りが「川越まつり」のような豪華な山車主体となるにしたがって姿を消していきました。(「文藝飯能38号」より引用)「荷家臺」という語は江戸から明治に伝わった言葉であったようだ。 |