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第六巻 60
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豊年おこし賣
明治十五六年の頃
豊年 シャ/\ 一ちく
たつちく多右衛門
殿の乙姫さんがね
ちんがらもんに追われて
笑ふ聲聞けバ ね
ホ・・螺の貝
豊年ジャ/\
此豊年おこし賣が天窓の上に盤臺を乗せたる元祖
にして東京にてハ 珍敷けれバ流行最も盛大なり就中
著しきハ 中島座にて豊年踊りの所作事ありまた版行の
一枚絵に出し其頃の手遊まで出来たり以て流行の一般を
知るべき也
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「ホ・・螺の貝」は「ホホホ、ほらの貝」。
明治11年(1878)12月11日の郵便報知新聞に出ていた。
昨今の流行りものは大原女めかして頭に桶を載せし飴売に、洋婦の肩掛を廻し合羽に換へ、鍋町髷の両端を縮め。子供が夕方群をなして「イッヂクタッチクタエモンドン」と唄ひ行くは、其調下卑て如何にも耳喧ましゝ。
「鍋町髷」は丸髷の形の大きなもの。
晴風のはおこしで郵便報知は飴であるが、「大原女めかして」というのは同じ様子を表していよう。
今も子供たちが「鬼きめ唄」などで使っているというこの面白い言い回しは、江戸時代から伝わったもの。太田全斎『諺苑』(寛政九年1797)にすでに記録されている。
イッチクタッチク タイノメタイガ女梶原源八 助六ヲンノキャレ(『諺苑』「イ」の部)
『諺苑』(イロハ順)の増補版である『俚言集覧』(50音順)にも出ている(この2書は共に国会図書館がデジタル公開)。
現行の唄はYouTubeで「イッチクタッチク」などと検索すると出て来ます。
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