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第八巻 18
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明治三十五年の秋長門の國馬関の者なりといふ
紐屋/\たすきの紐
紐といふべきをひんも
や/\と云 其賣聲の
一種奇なるが為め衆人
これを面白きことに思ひ
購求する者多し
紐 毛糸木綿編物等
色糸にて美なり而して
丈け五尺にて金壱銭なりといふ
◆-◆
「馬関」は下関のことだが、「馬関戦争」など明治時代まではよく使われていた。近頃は聞かない。下関の古称「赤間関 あかまがせき」を「赤馬関」とも書いたことから起こったという。
なお、「赤間関」市を改称して「下之関」市としたのは、明治34年(1901)4月11日のこと、「下之関」、「下の関」、「下関」のいずれにするか市会で激論があったという(
大阪朝日新聞 同年4月14日
)。さらに、明治35年6月1日に「下関」市とした(
ウィキペディア
)。
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