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第八巻 32
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獨樂廻しの歯磨賣

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ちょんまげの小父さんに見える。「散髪脱刀令」(明治四年)以降ちょんまげは急減し、石井研堂『明治事物起源』は断髪が明治16年頃に9割、21~22年で10割としている。しかし、少数のちょんまげを残していた人はあったようで、森銑三『明治東京逸聞史』は「ちょん髷」という題で明治43年の東京朝日新聞をとりあげ、黒川能の東京公演で「狂言の釣女のシテの人が髪を結っているのには大いに感興を深うした」と記している。

巻三-51「永井兵助」に付けたコメント「居合抜と曲独楽」で松井源水の曲独楽を紹介した。この小父さんは各種のコマを廻して見せて、人を集めるということのようだ。曲独楽というほどではないのだろう。

江戸では歯磨きのおしゃれが流行していて、化政期には、江戸で歯磨粉が何十種も制作販売されていたらしい。このこと自体が興味深い。拙稿 江戸の歯磨粉 をご覧になって下さい。
箱のデザイン文字は「粉」。

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