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第八巻 54
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器械いらず早取の写真薬賣


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看板に「ヘジソー氏 新発明 器械いらず早取寫真」とある。この「写真薬」はどう使うのか、わからない。インチキかもしれない。

ここで言う「早取寫真」というのは明治特有の言葉で、肖像写真を撮るのに何十秒間もじっと固まっていないといけない時代に、江崎礼二が数秒で撮れる写真を「早取寫真」と名付けて、有名になったのだが、それを指している。
それまでは写真はちょっとでも動いたら撮れないといふので、小児、ことに哺乳児の撮影はほとんど不可能とみなされてゐた。ところで江崎の新発明の早取機械ではどんなに動くものでも容易に撮れるというので非常な大評判になった。 (内田魯庵『バクダン』大正15年1926 国会図書館がデジタル公開
「早取寫真」が明治14,5年頃、「赤坊が撮れるというので」大評判となったという。内田はイギリスの「タルボットといふ人」がフラッシュ撮影の手法を早くも1851年(嘉永四年)に成功していることや、「ボーイス教授」が砲弾の飛翔を撮影したなど、新知識を披露しているが、「ヘジソー氏」は登場しない(この「ヘジソー氏」は「エジソン氏」の過誤ないし転訛の可能性はないか)。

なお、『バクダン』は読売新聞に連載した文を集めたもので、「貘談」である。やはり読売新聞に連載した前著『貘の舌』を引き継いだ書名。様々な話題が集まっているが、「21 素人写真」、「22 早取写真」、「23 撮影難」となっている。

「写真師江崎礼二」がイギリスから「早取乾板」を輸入したのは明治16年だった。その新聞記事

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