左の『和漢三才図会』の乞食は、絵は面白いのだが、寺島良安の説明は漢学者流の形式的な説明でつまらないので、省略する。右の『江戸職人歌合』の乞食は穢多と番えられている。「月」について
月影に一皮かかるうき雲を はぎとるわざの などなかるらん (左、穢多)
竹やぶにかくれてすめる じく谷の こやもあらはにはるゝ月影 (右、乞食)
これは「じく谷のこやもあらはになど、おかしうも侍るかな」という判定が出て、右の勝となった。「じく谷」というのは東京では「市谷じく谷」という地名が現在も残っているが、谷地でじくじく湿っている谷間の意味か。そういう谷間の竹藪の小屋に、月影が差している情景をうたっている。穢多をうたって「うき雲を はぎとるわざ」という直接的な表現をしているのに比べて、勝としたのだろう。わたしは皮剥が得意の穢多に対して「うき雲をはぎとるわざの などなかるらん」と言い放ったのに吹き出したが。
赤ん坊を背に、歩ける子供と共に物貰いをしている画像は貴重だ。母親は扇子を差し出しており銭を求めている。子供は器に米を求めているのであろうか。親子ともにまともな服装をしており草履を履いている。ある程度「豊かな乞食」であることを感じる(先に引用した明治中期資料の「子供乞食の売買貸借」のような無残な印象はない。彼らは正当な稼ぎをしているのだろう)。
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「街頭生活者絵巻」という作者不明の絵巻に、大変興味深い乞食の画像が描かれている。国会図書館がデジタル公開している絵巻であるが、タイトルが「中世近世 街頭生活者繪巻」とあること以外は、書誌が何も分かっていない。作者や製作年代はもとよりタイトルも図書館がつけたのかさえ不明である(わたしは、「街頭」とか「生活者」という語から、おそらく帝国図書館が受け入れる際につけたタイトルではないかと考えている)。
「街頭生活者絵巻」の乞食
左は、道ばた(川ばたと言うべきかもしれない)で、裸足で腰に巻いた布以外は裸で皿を前に置いて、跪いている男である。頭髪がまったく無いのは僧であることを表しているのか、老人であることを表しているのか、分からない。皿にはいくつかの小銭が投げ込まれているようである。
右はイザリである。笠をかむり、左手の短い杖で動かせる車つきの箱に乗っている。右手に浅い椀を乗せて、銭か米などを貰おうとしている。
次は、ちょっと類例のない場面だと思う。「街頭生活者絵巻」の終わりの所に出ているのだが、きちんとした商家の出入り口から木桶に食べ物を乞食たちに施している光景である。商家側の人間が4人描かれ、木桶を下げているのが3人、出口には商家の者が1人、空になった木桶を受け取ろうと待ちかまえている。食べ物を追加してやるのだろう。
貧者たちの群れの中にいる木桶を持った者(左)は柄杓から食物を鉢に注いでいる。中央で手桶を持つ者は右から黒い鉢を差し出している乞食になにか応答している様子だ。
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