晴風『うなゐのとも』第2編 「胡沙笛




この図には胡沙笛が2つ描いてある。
・右が「羽州秋田の産 柳の木にて造る」
・左は「おなじく ひの木の皮にて巻て作る」

「ひの木」は難読だが「日能 ひの」木であろう。すなわち檜。檜のへぎ板を巻いて作ったものなら、図と合う。しかも、『世渡風俗図会』の図とも合いますね。

残りの3つ、右から
・「越後新潟の笛」
・「奥州會津笛 これを初音といふ」
・「江戸時代の笛」

◇+◇

「胡沙」と「胡砂」

明治時代の新聞を「新聞集成明治編年史」で読んでいたら、明治18年(1885)の改進新聞に次のような一節があった。
束髪の流行は追々各地に拡まりてママ吹く蝦夷ハテまでも其噂を聞く事なるが(以下略改進新聞 明治18年11月3日
「束髪」とは「髷 まげ」に対して言われている語で、女性が髪を髷として結い上げない髪型をいう。男の場合は「ちょんまげ」に対して「断髪」といわれる(明治四年の「散髪脱刀令」で髪型も帶刀も「勝手たるべし」となった)。
上の引用は、女性の束髪が全国に広がってきているということを誇張して、北海道の果てまでもと述べたもの。ともかくこの時代には「こさ吹く蝦夷」という語句が人口に膾炙していたと考えられる。

明治24~25年に朝日新聞に連載された半井桃水(痴史)『胡砂吹く風』という朝鮮を舞台とする小説があった(国会図書館がデジタル公開)。桃水は朝日新聞の特派員として釜山駐在を務めた人物で、大正期まで人気のある大衆小説家であった。というより、樋口一葉が片思いをした相手という方がよく知られているかも知れない。彼女は『胡砂吹く風』の序に和歌を寄せていて、
 桃水うしが ものし給ひし
    こさ吹く風をミ参らせて
           かくて

朝日さすわが敷島の山ざくら
     あはれかバかり さかせてしかな

              一  葉


「沙」と「砂」の違いはどんなものなのか、手元の漢和辞典を見ると、
:会意。水中の散石、すなわちマサゴのこと。水少なく石現るる義をとり、サンズイと少を合す。後世、砂に作る。 『大字典』講談社
水との関係でマサゴが表されているので「沙」が原義に近く、後に「砂」が使われるようになった、ということだろう。つまり、意義にそれほどの違いはない。
「胡沙」は字の通りで
胡沙:中国、塞外さいがい胡国ここくの砂漠、また、その砂塵。
王維「絶域陽関道、胡沙与塞塵」
『日本国語大辞典』小学館
ところが『日本国語大辞典』は「こさ」をも見出し語に取りあげていて、金田一京助のアイヌ語説を詳しく紹介している。
こさ:(アイヌ husa 「息吹」が、古く取り入れられたもの)蝦夷えぞの人の息を吐くこと。また、それによって生じるという深い霧。(中略)「こさ」については金田一京助「胡沙考」(昭和7年)に詳しく、アイヌ語 husa または hosa が日本語化して kosa となったもので、北海道方言の コサグモリと同語源であると考察している。それ以前の主な説をあげると、胡笳(こか、あし笛)との連想から蝦夷のこさ笛であるとするもの(藻塩草・和歌呉竹集)、胡地の砂塵が吹きあげることであるとするもの(東遊記・玄同放言)、植物イケマの根に呪力があり、蝦夷ではそれを噛みくだいて吹いたとするもの(四方の硯)、蝦夷人が吹く笛で空がかきくもるといわれることから、コシ(籠気)の義であるとするもの(松屋筆記)、蝦夷方言で、すべて音ある器をいうカと同義であるとするもの(古今要覧稿)などがある。
もし、このアイヌ語説が正しいとすれば、「こさ」と表記するのが妥当だろうが、漢字を宛てる場合に「胡沙」が古くから用いられてきたが、明治10年代以降「胡砂」を宛てる場合もあった、と考えておく。また、『胡砂吹く風』をわたしはまだ読んでいないのであるが、朝鮮を舞台に描くのに、塞外の砂塵の語感を生かして「胡砂」を使った可能性があると、宛て推量しておく。


戻る
inserted by FC2 system