画像をクリックすると、拡大する。

第四巻 25
 【前へ : 目次 : 次へ

飴熊の鬮賣

安政の頃飴熊といふ細工飴の上
手者あり種々なる細工飴を鬮
にて賣たり此者常に上野
三橋の際に出る 此外 治ろ吉
なとゝいふ上手者出る

◆-◆

「鬮」は「くじ、籤」。

三橋みはしは不忍の池の南端から東へ流れ出る忍川に掛かっていた3つの橋で、将軍が寛永寺参詣の際渡る広い橋が中央にあり、両側に庶民用の狭い橋があった。「安政江戸図」から切り抜いた地図を掲げ、 『江戸名所図会』の黒門広場を詳しく紹介した(ここ)。

淡島寒月「梵雲庵漫録 二」(大正12年1923)に、細工飴をくじ引きで取るという店のことが出ている。
それから両国の広小路辺にも随分物売りがいたものだった。中で一番記憶に残っているのは細工飴の店で、大きな瓢箪や橋弁慶なぞを飴でこしらえて、買いに来たものは籤を引かせて、当ったものにそれを遣るというので、私などもよく買いに行ったものだが、いつも詰らない飴細工ばかり引き当てて、欲しいと思う橋弁慶なぞは、何時も取ったことがなく落胆したものだった。青空文庫による
◆-◆
 【前へ : 目次 : 次へ
inserted by FC2 system