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第六巻 64
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武装の飴賣

明治十七八年の頃具足を
着し螺貝を音太に吹
鳴らし陣太鼓を打叩き
天晴強者と見た しが
めか是なん飴賣の御
大将なりき

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「音太」は「ねぶと」、「天晴」は「あっぱれ」、「しがめ」は 「僻目」の江戸っ子訛。

鎧兜の扮装で車を曳いた飴菓子売が、明治14年の年末の新聞記事に出ていた。
異類異形の行装で飴菓子をうるは近頃の一流行なり、下谷御徒町に住む安藤市太郎は、さすが士族の考へ付とて古道具屋で金一円七五銭にて一領の鎧を買ひ、銀箔をせし大太刀を腰に帯び、小車に菓子をならべて、元亀天正の身ぶり講釈をしながら売あるけば、児童らは面白がりて寄り集まって買ふ故、飴菓子とは云へ日に五六円の商ない高なり、(以下略東京日日新聞 明治14年12月27日
「商ない高なり」は「あきない だか 也」。

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