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第六巻 76
日本に幻燈が渡来したのは18世紀後半だという(草原真知子写し絵と幻燈)。ランプを光源としてガラス絵を投影する。江戸では幕の後ろで複数の投影者が幻燈機(「風呂」と称していた)を抱え持って、動作しつつ映し出したという(みんわ座写し絵について)。 上の草原満智子のサイトでは 日露戦争の頃から金属製の小型の幻燈が盛んに生産されるようになると写し絵の幽霊たちは幻燈機へと引っ越していき、幻燈は家庭で子どもたちが楽しむ映像装置となった。と述べているので、晴風が見た「飴賣のうつしゑ」も、そういう幻燈機をつかった商売だった可能性がある。 看板の文字は「大うつしゑ」。飴売の小父さんは、写し絵に合わせて小さな太鼓を叩いている。 |