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第七巻 43
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浅草の文公

此文公 愚者にて
無欲なり天窓
は折々戯に芥子
坊主と成 又紋所
なとを置あることも
見掛くる平素六區の
興行場に居て
大聲にて評判/\
と呼ぶさま無邪気
にて愛嬌あり兎に角
浅草の一名物なり

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三田村鳶魚『上野と浅草 江戸の思ひ出』(大正11年1922)の中に「馬鹿の文公」として出ている(p209~215、国会図書館デジタル公開)。ただし、「評判、評判」と呼ぶとは出ていない。

石角春之助『乞食裏譚』(文人社1929 国会図書館デジタル公開)の第3章の5に「明治の評判男 文公」がある。
殊に彼がごろの解らない言葉で「ホウバン/\」とちんがら/\歩いてゐるのが、如何にも無邪気で、可愛い男でした。そして、人さへ見れば太々と太ったぶっきら棒の手を出して、「にちえん、おくれ」とニヤ/\笑ってゐるのです。それが又如何にも自然で、多くの人の気を引くのでした。
文公は決して「いっちえん呉れ」とは言ひませんでした。必ず「にちえんおくれ」と言ふのでした。そこにも文公の文公らしい處があるのです。
前掲書p40
この本は、明治から大正にかけて浅草寺などの寺社では多数の「乞食」がたむろし、その中には「かったい坊主」や「跛」が居たことを写真をつけて述べている。おそらく、当時の実際を表しているものと思われる。

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