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第八巻 22
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萬年筆賣

限りある命も
 なくは
  萬年は
きつとたもつと
  受合ふて賣

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万年筆(まんねんふで)は矢立の異称で「好色二代男」にある(日本国語大辞典)。万年筆(まんねんひつ)は明治後半に出現する語らしい。

矢立の異称ではない万年ふでが明治18年(1885)の新聞にある。
前略)此に日本橋区本石町時計商大野徳三郎氏なる者あり、一種の筆を発明し名づけて万年筆と云ふ、形、普通の鉛筆の如く、其軸中に洋墨を詰め螺旋らせん緩急の作用にて或は太く或は細く自在に書くことを得、一回墨汁を詰め数日使用して尽きざるの便ある者なり、(中略)此万年筆世に出でば洋筆漢筆の二の者、一大革命をうくること遠きにあらざるべし。(東京横浜毎日新聞 明治18年10月13日 強調は引用者
「洋筆漢筆」の折衷の筆であることは確かだ。晴風が取りあげたのはこれか。

森銑三『明治東京逸聞史』の明治36年条に「万年筆」があり
坪谷水哉が「万年筆よ、汝は日夜わが懐中を離れず、いやしくも秒時の間あれば、葉書、通信その他、所々方々への信書までしたためて、毫も疲労の色なきは、神妙の至りにて」云々としている。いっていることは月次であるが、万年筆にマンネンフデと振仮名があることが注意せられる。
森銑三は上の続きで、万年筆の広告を紹介して「二円五十銭から十円まで各種ある」とし、「この頃から万年筆の次第に広く用いられようとしていたのは事実であろう」と記している。

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