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第八巻 27
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新發明
 競馬競漕 運動手遊賣

世の中は廻り/\て
 進むなり
  手遊にまても
  競馬競漕

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競馬のことは巻六-23「競馬の手遊び」で調べた。
「競漕」(ボート)は幕府海軍が軍艦のボートを漕いだというのが早い。明治15年(1882)に隅田川の向島で天皇行幸のもと海軍競漕会が催されて、学生の間にボート熱がさかんとなった。大学だけでなく、高校・中学や民間のクラブでも盛んであった。

永井荷風『日和下駄』「第六 水」には、荷風少年が15,6歳(明治27,8年)の頃の思い出として、学校の帰りに友達と佃島でボートを借り、暗くなるまで隅田川を漕ぎ回ってボートをぶつけて壊してしまい、船宿に見つからないように逃げ帰った話が出ている。

なお、「真白き富士の根・・・」の逗子開成中学ボート遭難は明治43年(1910)のこと。

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