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第八巻 50
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焼いもの辻賣


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関東でサツマイモが作られるようになったのは江戸中期から。焼芋は甘くて安くて江戸っ子に人気があった。『宝暦現来集』巻五に「芋を焼きて賣事」という項目があり(「焼き芋屋」の始まりと「芋洗坂」のこと)、寛政五年(1793)の冬、本郷四丁目で「八里半」という行灯を出して始まったという。後に「九里より美味い十三里」という洒落も生まれた。それまでにサツマイモの販売はあったが皆「むし芋ばかり」であった。

図は、薄切りの芋を鋳物鍋で焼いているようだ。右は鋳物鍋で蒸し焼きにしているのか。
森銑三『明治東京逸聞史』明治29年条に、焼き芋の一種で「西京焼」がはやりだしたと「女学雑誌」の記事を紹介している。
今年になってから西京焼というのが、そちこちに始まった。これは京都風に芋の皮を取って、薄く切り、胡麻塩を振りかけて焼くとしてある。
図は西京焼そのものかどうか分からないが、薄く切って焼き「ごま入り焼芋」としているところなど似ている。

「壺焼き芋」は上海から後に伝わったもので、大坂では昭和4年、東京では5年にはじまった。「大学芋」も同じ頃にはじまった。
戦後、芋の統制が解除されたのが昭和25年(1950)で、それから「石焼き芋」が東京下町ではじまった。石を使う焼き方の工夫の他に、全体をリヤカーに乗せて、移動しながら焼いて売るという新商売であった。(サツマイモ資料館館長・井上浩「江戸・東京の焼き芋屋の移り変わりPDFファイル」。「日本いも類研究会」を参考にした。

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