清水晴風 「うなゐのとも」初編の跋文  (明治24年1881

明治一三年の春、わが友竹内久遠ぬしの向島言問か岡にて竹馬會てふことをもよほし、友がきむすぶたれかれ打つどひける席に、国々のいにしへより傳はりし手遊の品をあつめつらね人々に示されぬ、予も其席にありて此しなを見、美術とはかかるものをいふなるべしと深くおもひをおこし、今世に美術と称するは繪畫彫刻物をはじめ数々ありといへども皆これ高尚にすぎて予か如きものゝ愛しえらるべきにあらす、たゞ此手遊品に至りてはおのづから天然の古雅をそなへ土もて造れるあり、木にて刻めるあり、其國々の風土情体を見るにたるべしと感ずるなまり諸國の手あそび品を集めむことをおもひたちて自ら京阪又は奈良地方其他の國々へ遊歴せしをり/\或はしたしき友の旅行をきゝてはこれにことづてなどして集めしに、はじめ思ひおこしゝよりはや十あまり二とせをすごし、数は三百點を超え類は百餘種に及びしものから、朝夕此品々を側に置て愛撫し聊美術心をやしなふもとゐとはなしぬ。
今春たまたま木むらぬし来り、予が手遊を愛するを見ておなしこころを生し、今かく遠きちかき種々のしなを集め一人の樂みに過さんよりこれを廣くひとびとに知らしめなは、美術をめづる今日にありては世に益すること多からめ、よろしく梓に上して一の冊子となすべしといふ、予も常に其心あれはそがいふにまかせ、みつから拙き筆にものしてこれを與へぬ、時に明治二十餘り四とせといふ九月すゑの日、本業の余暇に清水晴風しるす

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