き坊のノート 目次

 ヒメバチ(ガロアオナガバチ?)の産卵行動 


《その1 ―― 立ち枯れたコナラ》

4月9日に浅間山[せんげんやま]公園の散策路に沿って、ヒメバチが来ている枯れたコナラを、わたしは2本みつけた(200mほど離れた別の丘陵だが)。マクロレンズで、さっそく撮影した。
ヒメバチはそんなに小さくなく、撮影のターゲットとして、難しくはなかった。体長は1.5pほどだが、もっと、小さいのもいた。右は、2本のうちの明るくて撮影の条件の良い方のコナラである。

本当はもう少し急な上り坂なのだが、道正面に、すこし左に傾いている小木がそれだ。一部に陽があたっている。
この写真を見てこの公園を知らない人は、静寂な山林を想像するかも知れないが、残念ながら周囲は住宅街で主要道路(新小金井街道)と接している。郊外住宅地に孤立して残された比高30mほどの、雑木山である。自動車の騒音と、すぐ近くのグランドで野球小僧どもが練習するときの“叫び声”がやかましい(日本の野球はどうしてああいう“叫び声”練習法をとるのだろう、ほとんど無意味に思える。野球というスポーツが、体を動かさない時間帯の多い、とても“暇”なスポーツであることを証明している)。

このコナラの表面には小穴が無数に開いている。その様子は、下に示すヒメバチの写真から知って欲しい。
枯れた樹木を(園芸的な、造林的な観点から)簡単に切り倒して整理してしまうことが、寄生蜂などの生存にとっては深刻な問題であることを認識しておく必要がある。わたしが見つけた2本とも、数本に分かれた株立ちのなかの1本であった。


《その2 ―― ヒメバチたち》

まず、コナラの枯木にやってくるヒメバチたちを4つ、お目にかけよう。♀2つ、♂2つである。

【1】産卵中のヒメバチ雌♀を真上から見下ろしている写真なので、尻が高く上がっているのがよく分からない(横からの写真は、後掲)。しかし、産卵管鞘が少し開いている。これは、鞘を使わずに産卵管だけを木のなかに差し込んで産卵しているのである。
複眼の横に黄斑2つ、肩口にも黄斑2つ。胸から腹にかけては黒くて、めだった斑点がないことが特徴である。特に翅の付け根の間に斑点がないことを覚えておいて欲しい。これをB型と仮称する(“black”のつもり)。


【2】つぎは、やはり♀のヒメバチだが普通に歩いている状態。尻と産卵管鞘が高く持ち上がっているので写真はボケているが♀であることは明瞭。上の♀とは黄色の斑点の様子がだいぶ異なる。何よりも、翅の付け根の中央に黄色い丸く見える斑点がよく目立つ。さらに、背中に「ハ」の字の黄点が見える。


確認のために、上のヒメバチ♀の頭から胸にかけての斑点の様子を、2つの別角度からの拡大図で示しておく。顔面には、口の上と複眼の横に黄斑が一組ずつあり、胸に「ハ」の字、翅の付け根の間に大きな斑点と、横線に見える黄斑とがあることが分かる。肩口あたりは真っ黒である。これをA型と仮称する(Bに対してA)。
 


【3】これは明らかに♂である。胸に「ハ」の字があり、翅の付け根の間に黄斑がはっきりあるところからA型といいたいところだ。ただ、肩口に黄色の縁取りがあり、中脚に向かって黄色の弧線が見えるので、上のA型♀とは違いがあるが、これを(強引に)A型♂としておく。


【4】最後に見てもらうこれは、じつは最初の日(4/9)に写したもので、“ヒメバチみたいだぞ”というノリでシャッターを切っていた。そして、後になって調べ直していて、注目することになった。(次節で述べるが、開いた翅にピントがあっていることが大事だった。)
まず♂である。複眼の脇と肩に黄斑があり、それ以外は目立った黄斑はない。殊に翅の付け根の正中線の位置に目立つ黄点がない。胸にはよく見ると「ハ」の字の痕跡があるのだが、【2】、【3】のような明瞭な「ハ」とは違う。
しかし、なによりも他の上記3つとの大きな違いは、腹の白い節ごとの区切り線がなく、背側からみると真っ黒に見えるという点である。


以上の4つが、わたしが比較的鮮明に撮影できたヒメバチである。大きさはどれも同じ1.5〜2pほどに感じられ(測定していません)、けして小さくはない。ずっとより小さいヒメバチらしい種も来ていたが、撮影できていない。
長い産卵管が見えるので、♂♀の区別は容易だが、いずれも同じような大きさで、姿・形が似ているので、わたしはよく調べもせずに、“ある一つの種”のヒメバチと出合っているのだと思い込んでいた。脚の色が共通であることも強く印象されていた。前脚・中脚が黄橙、後脚はおおむね黒色で途中に黄橙のところがある。

これらを同一種とみなして良いのかどうか、それとも、別種であるのか。


《その3 ―― 浅間山公園》

都立浅間山公園は、都会の住宅地のなかに取り残され、保存されている「緑の山」である。戦前は陸軍の火薬庫だったそうだ。府中市の立てた公園内「女坂」の看板に次のような難しいことが書いてある。
浅間山(標高80メートル)は、自然史的に見て特異な存在の山で、地質が付近の段丘地質と全く異なる御殿峠礫層[ごてんとうげれきそう]から成っています。
これは多摩丘陵を構成する地質ですが、すでに武蔵野段丘や立川段丘が形成される以前に古多摩川によって周囲を削り取られ孤立して残った侵食丘だといわれます。
わたしは、稲城南山とその周辺というすぐれたサイトで学んだが、「御殿峠礫層」が広く多摩丘陵一帯に形成されたのは約50万年前で、まだ、関東平野も多摩川も生まれておらず、「古相模川」が直接太平洋に注ぎこんでいた。御殿場峠礫層は、古相模川の力によって出来たものだという。
そののち、関東平野ができ、「古多摩川」が生まれた。その古多摩川による「浸食丘」としてたまたま孤立して御殿場峠礫層が残ったのが、浅間山の前身である。多摩川が侵食して武蔵野段丘や立川段丘をつくる際にも、その古い浸食丘は孤高を守って残った、というのである。
御殿場礫層の上に関東ローム層が降り積もり、現在の多摩丘陵ができ、いまの浅間山ができたのである。


南を向いて写した浅間山公園。住宅地のなかの“孤立丘”である。右手遠方に丘陵の連なりが見えるのが、5q先の多摩丘陵。左手は多磨霊園につながる。

さて、わたしは浅間山公園をまったくご存じない方をも意識して、書いている。画像だけだと、わたしが“ヒメバチらしきもの”を撮影している場所が、幽邃な人跡稀なところと誤解される可能性がある。もちろん、そんなところではない。しかし、舗装面で固めた都市公園ということでもない。秋から冬にかけて、付近の農家の人が落葉かきをし、業者が入って樹木伐採をする。それで雑木林の更新を計っている(と、看板に書いてある)。
かなりの人手を掛けて、かつての平均的な雑木林を残している公園、と考えたらいい。コナラ・クヌギ・イヌシデなどの落葉樹がほとんどなので、夏の緑あふれる樹林と、秋冬の落葉しきって明るい林間との両方が楽しめる。散策路が指定してあって(ロープが張ってある)、林の中に入りこむことはできない。欠点としては、孤立丘なので、水に乏しいことだ。一個所「みたらし」という小さな泉があるが、池をつくるほどにはならない。公園内に池や小川の水面はまったくない。

浅間山公園は、多磨霊園を介して、野川公園・国際基督教大学キャンパスなどとつながるが、都市近郊の比較的貧弱な生物相であることは否定できないだろう。したがって、わたしはヒメバチを撮影したとき、ネット上で探せば、ごく一般的な普通種としてすぐ種名を特定できるものと思っていた。


《その4 ―― 種名の探索》

ヒメバチに関するサイトを検索してみて、まず気づいたのは、きわめて有力なヒメバチの専門的情報を公開しているサイトがあることである。北海道大学所蔵ヒメバチ科タイプ標本と、「北海道農業研究センター」の小西和彦さんの日本産ヒメバチ目録である。これらは、結局同一の北海道大学のタイプ標本に行きつく。(タイプ標本とは、ある生物の新種記載を行う際に、その生物を定義するための記述(記載文、判別文)の拠り所となった標本や図解のこと。模式標本、基準標本などとも呼ばれる。細菌では純粋培養された生菌株がタイプとして認められる。その菌株を基準株(type strain)という。(Wikipedia の「タイプ(分類学)」より) )そこで公開しているタイプ標本写真は「約920個体」分である。いま日本で記載されているヒメバチ科が1433種(2009年1月現在)。
しかし、実際に北海道大学のタイプ標本を参照すると、劣化して壊れたり、変色したりしているらしきものもあって、ネット上でよりどころにするのは難しい場合もある。だが、素人でもこのタイプ標本写真によってできることは、自分が見ているヒメバチはこの種ではないという、否定的な作業である。「同定」ではなく「非・同定」である。

わたしがいつも参考にしたりお手本にしたりしている、優れた昆虫関係のサイトのいくつかを挙げてみる。成城の動植物わが家の庭の生き物たち(このふたつは、同一人の作成)、裏庭観察記田中川の生き物の調査隊海野和男の小諸日記。いつも愛読しているこれらには、残念ながら、ヒメバチのことはそれほど詳しく扱われていなかった。むしろ、参考になったのは、山岸健三(名城大)寄生蜂の解説や、森林総合研究所関西支所の長い産卵管を持つ寄生蜂などの、単発論文であった。
ヒメバチは寄生蜂という膨大な分野の一角にあるわけで、農業害虫・益虫として非常に詳しく研究もされている。“寄生蜂”で検索してみると分かるが、ちょっとやそっとでは、概観することさえ容易でない。しかも、たいていの論文に“この分野は未開拓で、分からないことだらけである”と断っている。

ともかくわたしは、浅間山公園で撮影したヒメバチの種名を決めようとサイトを巡ってみたが、なんとも決めようがなかった。1400種を越える日本産記載種があるのでは、素人の個人的な努力ではどうにもならないらしい、という気分になった。「き坊の近況」4/19に「ヒメバチ(不明種)の産卵行動」をアップしたのはそういうときであった。

ところが、ブレイク・スルーは思わぬところからやって来た。それは手元に持っていたハチの唯一の専門書、岩田久二雄『日本蜂類生態図鑑』(講談社1982)という豪華本(14000円!)である。ある友人がくれたのだが、引越の際にも捨てるのが惜しくて持ってきて飾ってあった。なにせ、ハチとアリの博物館という啓蒙的なサイトには、写真つきで
日本のハチ学は,世界のトップレベルにあります。これは,岩田久二雄博士,常木勝次博士,坂上昭一博士の三人のすぐれた先覚者が日本にいたからです。(ここ
と書いてあるぐらいだ。その岩田久二雄大先生も「はしがき」で次のように断っている。
膜翅目のうちには上科が27あるが、その一つのヒメバチ上科は、その方面の第一人者である北米のH.Townes氏の近著(1969年)によると、学名の明らかな15,000種に対してさえ、推定される現存種は60,000種だという。わりに体の大きいヒメバチでさえこの有様であるから、体のはるかに微細な寄生蜂であるコバチなどについては、その現存種の概数などとても推定できない。
しかも、この『生態図鑑』なるものは、大先生も冒頭に断っておられるのだが、「図鑑」というから“網羅的”であることを印象させるが、「蜂の生態についても、蜂の種類についても、網羅どころかそれらの全貌の九牛の一毛しかとりあげていない」のである(それなら『生態研究』とか『生態一毛』とかしたらどうだ、と野次をとばしたくなる)。・・・・・・まあ、それで飾っておいたのである。たまに、素晴らしい写真を眺めるぐらいだった。
困りはてて、“岩田久二雄の本でも観るか”と本棚の上のほうから引っぱり出したら、それが、大当たりだった。


『日本蜂類生態図鑑』図版の2頁目のスキャナー映像。説明は「Triancyra galloisi Uchida ,ガロアモンオナガバチ」。この本に載っているヒメバチはこの一枚だけである。

横からの写真だから明瞭ではないが、全体の印象は《その2》でいうA型♀である。ただ、細かく見ていくと、足についている黄斑などに違いが見受けられる。どうやら、わたしが撮影したのはガロア(モン)オナガバチか、その類縁種らしい。北海道大学のタイプ標本は、高尾山で採られているこれである。

「Uchida」 は、北海道大の内田登一(1898〜1974)で、ほとんど1人で日本のヒメバチの記載をなしとげた、極東におけるヒメバチ研究の第一人者である。1958年に日本昆虫学会会長になっている。幸いにネット上で「日本応用動物昆虫学会誌」に載った訃報と中島敏夫「内田登一先生のせい去をいたむ」という文章を読むことができ(ここ)、基本的な伝記の要素を知ることができる。
(内田登一)先生のご専門は膜翅目ヒメバチ科の分類学的研究でありました。現在と比較して極めて知見の貧弱であった当時にあって、先生はこの膨大なグループにパイオニアとして入って行かれ、日本、台湾、支那大陸その他近隣の地域から1,000種を下らぬヒメバチを記録され、これをまとまった知見として残されました。(中島敏夫追悼文より)
「北海道大学所蔵ヒメバチ科タイプ標本」には、内田登一のヒメバチ種記載の膨大な原論文(らしい)ものが参照できるようになっているが、ドイツ語論文なので、眺めるだけで引き下がってきた。

「galloisi」の「ガロア」は数学者のガロアなのだろうか思って、それを、確かめたかったのだが。ドイツ語ということもあるが、それ以上に、生物学の新種の記載がどのような形式で行われるものなのか、ヨーロッパがリードしてきた学会のあり方をわたしは何も知らなかった。“そういうこと”を知らないですむ知的末端で、生活してきたのである。

わたしは、そういう自分の生活を了解しているが、別にそれで良かったと自得しているのでもない。おそらく、“ヨーロッパ的なもの”を生活のベースにおいていれば(ヨーロッパで生まれていれば)、「世界」を理解することが、最初から当たり前のスタイルになったのであろう、と思う。わたしは、「世界」に達するためには「日本」を越え「東洋」を越える膂力を必要とした。そのことによって、「世界」には「世界」しかないのではなく、「東洋」があったり「日本」があったりするということを初めから自得していた。
ヨーロッパで生まれること(或いはそれに等価なこと)と日本で生まれることとは、どっちもどっちだと思っている。若い頃は、なかなかそうは思えなかったのだが。


ガロアと言えば、よく調べもせずに、19世紀のフランス数学者のEvariste Galois(1811〜32)のことかと思ったのだが、大間違い。訂正します。明治末から昭和初期までフランス外交官として駐日したEmde Henri Galloisは、パリの国立自然史博物館の依頼を受け甲虫を中心とした日本の昆虫採集をした。その中でも有名なのが、ガロアムシ(1914年にガロアムシ目が認定された原始的昆虫のグループ)を1915年(大正14年)に中禅寺湖で発見したこと。彼の名前を採ってガロアムシ(Galloisiana nipponensis)と命名された(1924年)。北アメリカと東アジアにのみ生息する目で、全世界で30種ほどしか知られていない。(この項目は、「エンカルタ」を参考にした。)
ガロアオナガバチもこのフランス外交官のガロアの名を採ったであろうことは、まず間違いない。ただし、上記のごとく、原論文で確かめていません。5/23-09追加


北海道大学のタイプ標本のところには、貴重な情報がおいてある。まず、「ガロアオナガバチ分布:本,佐,九」ということ。本州・佐渡・九州。(四国についてはどうなのか、気をつけておく。
それともうひとつ「寄主:Rhodopina lewisii セミスジコブヒゲカミキリ」、寄生する相手がこのカミキリ虫であることが知られているという情報である。もちろん、それ以外にも寄主はあり得る。わたしはこのカミキリをしりませんので、他のサイトの良い映像を紹介しておきます。ここ

ともかく、このような次第で、わがヒメバチはガロア(モン)オナガバチであるか、それの近似種らしいというふうに話がしぼられてきた。(「ガロアモンオナガバチ」と岩田久二雄が書いている。しかし、タイプ標本の分類目次には「ガロアオナガバチ」とあるし、多くのサイトで「ガロアオナガバチ」と書いている。どうやら、このヒメバチは、どちらの呼び名も通用しているらしい。以下では、特に必要のない場合は、わたしもガロアオナガバチと短い方を使う。
しかし、「ガロアモンオナガバチ」の「モン」とは何なのか。岩田久二雄の本の写真からすると、わたしのA型の黄斑が「ガロアオナガバチ」により似ているが、B型はそうではないのか。

上で、B型の翅の映像の意味をのべておいたが、翅の支脈の走り方などが分類学上重要なのだそうである。そのためタイプ標本にはかならず前翅の拡大写真が示してある。ただ、それがどの程度重要なのか、しかも、なぜそうなのか。そういうことについて、わたしは目下まったくの無知なので、A型、B型、ガロアモンオナガバチのタイプ標本の3つをできるだけ比較しやすいように並べてみた。杉山恵一『ハチの博物誌』に学ぶ、ハチ類の翅と進化に、この後に勉強したことを書いてみました。題はやや大仰ですが、長くはありません。7/18-2009

矢印の角形を基準にしてみると比較しやすいと思う。B型2つとタイプ標本はよく似ているが、A型2つタイプ標本には相違がある。

 B型♀
 タイプ標本と細部もよく一致している。
 支脈のくねり具合までとてもよく似ている。

 B型♂
 ピントが悪いが、タイプ標本との一致はよい。
 これは、腹部の黒く見えるB♂の翅である(4/9撮影、《その2》【4】)。


 タイプ標本
 ガロアオナガバチ♀


 A型♀
 左上で外周に交わる線が、真っ直ぐすぎる。
 写真が光って分かりにくい。しかし、下のA型♂と同じような相違があるようだ。

 A型♂
 左上で外周に交わる線が、真っ直ぐすぎる。
 下辺中央の角形(矢印)の形が、タイプ標本とかなり違う。標本の方が、ずっと横長。また、この角形の右の横長の図形の幅がずっと広い。他は、下の翅と重なっていて判別しにくい。


意外なことに、予想していたのとは逆に、B型の翅はタイプ標本にそっくりなのだが、A型はだいぶ違いがあるようだ。(わたしは写真を撮る際に、翅をうまく写すように意識してはいなかったので、多数の写真の中から、なんとか比較できそうなものを選りだしたにすぎない。したがって、他にも相違点がありそうなのだが、確かでないものは挙げていない。
また、A型の♂♀、B型の♂♀はいずれも相互にそっくりな翅の支脈をもっている。したがって、A型、B型というわたしの作業用分類は一定の意味があったようである。

結論としては、わたしが撮影しているA型、B型は、ガロアオナガバチか、それの類縁種であるといってよいだろう。とくに、B型はガロアオナガバチそのものの可能性が大きい。

そして、おそらく、翅の支脈を基準にした種の同定では、黄色い斑点の大小や位置は個体変異がおおきく、種の区別の基準としては重要度が下がる、ということなのだろう。腹の黒いB型♂も、翅の支脈からすると、ガロアオナガバチと判定するしかない。


《その5 ―― ♂の集団行動》

集団であつまっているA型♂、6匹。胸に「ハ」の字、腹にかけて2点の黄斑がある。

上の♂が集団で集まっているのは、何をしているのか不明。かなりの長時間、触角を触れ合って、ザワザワと(音はしないが)昂奮している様子であった。しかもそれぞれが例外なく腹を曲げている。いったい何のためか。真ん中に♀がいて、競争で♂が争っていると考えたいが、違うようだ。
この集団へ途中で出入りする♂も当然ある。♀が近寄ったのは見ていない。樹液でもなめているのかとも考えたが、どうも違うようである。

♂の集団を横から見る。腹を曲げている。

♂の集団が集まるのは、2本のコナラで共に見たので、偶然に(樹液などがあって)集まったということではなさそうである。何らかの繁殖行動に関連する集団の“お祭り”などの社会的行動であるように見える。

わたしは、2匹の♂同士が触角を触れ合って“親しげに”しているシーンも見ている。一つだけお目に掛ける。(この一連のシーンは、4分6秒間で18枚写している。したがって、♂♀を誤認するようなことはあり得ない。間違いなく♂同士である。

上の♂の集団の、20pほど下のことである。いずれも♂で腹を曲げている。

♂が腹を曲げるのは、どういう意味があるのだろう。性的に興奮している状態なのかと思えるが、分からない。この小集団は、上の大集団の端緒となる集まりであるのか(大集団といっても6匹だが)。
この♂たちの不思議なシーンは、何らかの「社会性」を暗示していると感じられる。

興味深いことに、ネット上で「ガロアオナガバチ」を検索していて、♀が集団で産卵している動画(15秒)を掲げているサイトがあった。(ガロアオナガバチの集団産卵)。ただこの動画の場合は、♀たちはほとんど頭を上にした姿勢をとっており、たまたま、樹皮下に適当な幼虫の集団があって、♀たちが争って産卵にあつまっている、という即自的な理由が考えられる。

わたしはこのヒメバチが交尾しているのをいまだ一度も目にしていない。一般に、ヒメバチはどういうときに交尾するのだろうか。
ハチ目には「社会性昆虫」といわれるミツバチやアリがいて、かれらの繁殖の仕方は独特のものがある。女王様との結婚飛行や、女王の働き蜂・兵隊蜂の産みわけなど。とすると、このヒメバチの繁殖行動の一環に、♂の集合現象があるのかも知れない。こいつらを見ていると、いろいろと想像がふくらむ。


《その6 ―― 産卵行動》

つぎに示す4枚は、同一個体♀についての産卵行動のひと区切りの記録で、所要時間は4分7秒間である。この時間は比較的短い方で、産卵管の挿入も浅い部位のように思える。なお、この場合は産卵管鞘を使っている。(《その2》【1】で言及したように、産卵管を直接樹皮下に挿入する場合と、産卵管を産卵管鞘に入れて鞘で保護した状態で、樹皮下に挿入する場合とがあるのである。

1匹の♀が樹皮の裂け目の上で、止まった。


40秒後、♀は産卵管(鞘の中に入っている)の先端を裂け目に入れはじめた。


上図から56秒後、ほぼ充分に入った模様。このあとしばらく腹を動かすしぐさが続く。


上図から2分13秒後、樹皮から産卵管を抜いたところ。
産卵管と鞘の位置関係が分かる。産卵管は腹部途中から出ていて、鞘は尾端から出ている。鞘の先に産卵管が突き出しているが、樹皮下ではこのように産卵管先端が一番深い位置に達しているのであろう。

とても細い産卵管のなかの穴を通して卵を樹中にひそむ昆虫の幼虫に産みつけるのである。体液を使って圧力を掛けて押し出すのだろうが、3枚目の「しばらく腹を動かすしぐさ」というのは、“絞り出す”作業をしているだろうかと、想像した。この時間が非常に長時間かかる場合があるようで、20分ぐらい同じような動作をしているのを見かける。

最後に、産卵管だけを挿入し、鞘は使わずに伸ばしたままの産卵姿勢をお目に掛ける。《その2》【1】の図を横から見たことになるが、別個体である。
産卵管鞘は、腹の末端から外側へ延びているように見える。しかも、この鞘はどういう仕組みになっているのか、自在に2つに分けられるになっているらしいのである。産卵管は体内に取りこめるようになっている種もあるという。この種の場合は分からないが、そうとう融通が効くようになっているらしい。(なんだか、腹の白い輪状のところが、曲げすぎて裂けているように見えるのもある。

この場合は、だいぶ深い部位まで差し込んでいるようだ。

どの産卵姿勢についても、胸の下の“腰のくびれ”で体を極端な曲げ方をしていることに気づく。ハチにとって、腰のくびれ(本当は腹の第2節)がおそらく重要な意味を持っているのだろう。


《その7 ―― 終わりに》

わたしはヒメバチについて漠然とした知識はあった(樹皮下のカミキリムシ幼虫などに寄生する寄生蜂であることなど)が、じかに見たのは初めてである。マクロ撮影のちょうどいい練習だ、というつもりもあってこの2週間ほど、ガロアオナガバチ(たぶん)を相当枚数写した。
彼らが樹皮下に産卵管を立てて産卵しているシーンは、なんとも美しい。しかも、彼らの♂♀の産卵行動は実に不思議で、謎に満ちている。こちらの好奇心をかき立てられる。だが、実はいちばんショックだったのは次の映像である。


このようなものが、彼らの去った後に、いくつか残っているのである。髪の毛ほどの太さだが、ヒョイヒョイと樹皮から飛びだしているのだ。わたしはすぐ、何らかの事情で抜けなくなった産卵管(鞘)であると思った。

摘んで抜きだそうとすると、ちょっとひっかかる。が、人の力では簡単に抜ける。わたしは抜き出したのを1本自宅に持ち帰って、実体顕微鏡で調べたが、二つに分かれる産卵管鞘であることは間違いないようである。(左図。40倍をデジカメで撮ったもの。直径は約0.25o。数日放置してあったもののためであろうか、ガラス管のように固化していて、カミソリで横に切断しようとしたら、ピンと割れてしまう。

上で、産卵に長時間かかる例があることを述べたが、何らかの事情で抜けなくなることがあると、「慧可断臂図」じゃないが、自殺的決断で抜き去るのだろうか。“ハチは人を刺すと針が抜けて自身は死ぬ”ということを聞いたことがあるが、ガロアオナガバチの産卵の場合はどうなのだろう。

♀は産卵態勢に入る前に、しばらく触角を樹皮表面を叩くように動かしつづける。あの細い触角を途中で曲げたりするのはどのような仕組みなのか。実に精巧な生物機構があることを思わせる。神経繊維の先端が触角のすみずみまで分布していて、振動(音波)や温度や匂い(気体分子の認知)をとらえ、情報を取っているのだろう。いうまでもなく、その情報を総合してターゲット(昆虫の幼虫)の位置を特定し、そこへ産卵管の先端を持っていく姿勢コントロールを精密にはたす必要がある。
情報を統合して指令を発しているのは、彼らの「」である。ヒメバチたちが、無駄のひとつもない“真剣な顔つき”であるのは当然のことなのだ。かつては昆虫のすべてを「本能」で説明しようとしていた。それは、明らかに無理がある。どの昆虫も具体的な地形・環境のなかで(人間からすれば微地形・微環境のなかで)、その場で彼らにつきつけられた問題を解きつつ、自分の課題をこなしていく。その課題はあらかじめプログラムされた処方によって解決することはできない。自分の地点でとらえた周囲の環境を把握して、そこへ働きかけて問題を個々具体的に解決して行かざるを得ない。昆虫の脳の力を認めることは、ヒトいや脊椎動物が特権的に得た認知能力という生物観を否定することを意味している。

もうひとつ指摘しておきたいことは「垂直な壁」ということである。わたしが撮影しているヒメバチたちは、みなコナラの垂直な樹皮表面にいる。彼らはその微小な体重のために、重力をものともしない動作をやすやすと確保している。
わたしは、《昆虫の小ささについて》というテーマを感得しはじめている。

―― ヒメバチ(ガロアオナガバチ?)の産卵行動 ―― 

    (2009-4/24)


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