(1.1) わたしの発端 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』(ちくま新書 2005)を読んだ。肥田舜太郎(ひだしゅんたろう 1917生れ)は陸軍軍医として広島で被爆し、同時に被爆者の治療にあたった。そのあと戦後一貫して被爆者の治療にあたり、そのなかでも特に内部被曝という観点をもちつづけていた。鎌仲ひとみはドキュメンタリー映画制作者で、環境問題に関わってきている。映画「ヒバクシャ」には肥田も出演しており、様々な賞をとっている。 『内部被曝の脅威』という本は、残念ながら、本としての出来はあまり上等ではない。色々と貴重なデータや観点がゴチャゴチャに詰めこまれていて、全体として訴えかけてくるものが分散している。しかし、触発されるところの多い本だった。 “ピカドン”と原爆にうたれて人間が即死に近い状態で死ぬ。あるいは数日のうちに死ぬ。これは、強い放射線にさらされて人体内部が細胞レベルで破壊されてしまうからである。もちろん、それ以外に強い熱でヤケドを負ったり、強い爆風で吹き飛ばされたりすることも致命的になる。極端な場合は、強い熱線で瞬間的に蒸発してしまうこともある。このような、人体外部からくる放射線でやられる場合を外部被爆と肥田はいう。東海村の臨界事故(1999)で死んだ2名は、まさに、この外部被爆の純粋な形である。(しかし、「外部被爆」と「外部被曝」を区別して使うのは、実際には混乱しがちである。また、厳密に区別して使用することにそれほど意味があるとも思えない。本論が放射線を扱うことが主なので、以下、わたしは「外部被曝」を使う。特に意味があると思える場合には「外部被爆」とする。放射線・熱線・爆風が同時に来るような場合である。) それに対して、放射性のチリや液体を体内に取り込み(呼吸、経口、皮膚から)体内に沈着した放射性元素が体内で放射線を放出することによって放射線障害を起こしたり、ガンを発病したりする。これを内部被曝という。 外部被曝と内部被曝は、いずれも放射線による細胞破壊であるという点では本質は同じなのだが、実際には、大いに異なる点がある。まず、本質は同じとは言いながら (1) 外部被曝は、外部の放射線源から出た放射線は空気中を伝わってくるから、ガンマー線や中性子線は問題になるが、アルファ線はほとんど問題にならない(空気中数oで止まってしまうから)。ベーター線(電子線)は数mは進むので、線源との距離による。もうひとつ、重要な点は線量測定のことである。放射線の量である。 (2) 放射線は臭いも色もないので、その存在を確認するのは、特別な計器などを必要とする。放射線の量はガイガーカウンターのような計器で計る。ところが、それは、通常ではすべて外部被曝の線量を計ることになる。この線量の話は、許容量のことと密着する。どれくらいの放射線に照射されても大丈夫か、という量。これの算定の基礎になるのは、ひとつ自然放射線の量、もうひとつは広島・長崎での原爆被害の例。しかし、それらはいずれも外部被曝からでてくる線量である。 外部被曝から求めた許容量を、内部被曝にも適用できるか。これは、大問題で、決着が着いていない。 (3) 外部被曝から求めた許容量を、内部被曝にそのまま適用すると、多くの場合、“健康には影響ない”となる。呼吸などで体内にとりこむ放射性チリなどは、たいてい、ごく微量だから。そもそも、アメリカをはじめとする原子力推進を考える国家や原発会社は内部被曝という考え方そのものを認めない。内部被曝を認めない場合、広島・長崎の原爆の被害者に関して、信じられないようなつぎのような見解が公式のものとなる。1968年に日米両政府が国連に提出した「原爆被害報告」である(前掲書p66)。 被ばく者は死ぬべき者は全て死に、現在では病人は一人もいない。 こういいう驚くべきアメリカの公式見解(これが虚偽であることは明らかである)を持ちつづけなければ、劣化ウラン弾などは使用できるはずがない。アメリカ政府について驚くのは、国内の原子力施設でもこの考え方を“愚直に”まもっているようにみえることで、ハンフォード( わたしは「マンハッタン計画」の“成功”と同時に全世界に向かって虚偽を声明することで、アメリカの20世紀後半の世界戦略がはじまっていることに気づいた。これが、“自由と繁栄”を売りものにするアメリカの覇権の教義である。 核兵器と原子力の安全性をトコトン追求していくことは、20世紀後半以降のアメリカ覇権主義の“アキレス腱”を突くことになっているはずである。 1968年の段階で「被曝者で死ぬべき者はすべて死んで、現在は病人はいない」というのは、事実に反している乱暴な見解であるが、あるいは“これは原爆症の範囲をどこまで広げるか”の解釈の相違の問題なのではなかろうか、と思う人もあるかも知れない。でも、それはアメリカに対して、あまりにも好意的すぎる考え方であると言わざるを得ない。なぜなら、下の(1.4)節で紹介するが、これとほとんど同文の声明を、アメリカ陸軍准将・ファーレルが、1945年9月6日に東京帝国ホテルで、連合国の海外特派員に向けて発表しているからである。原爆投下して、わずか1ヶ月後のことである。しかも、ファーレルは現地を視察しないで、この声明を発表している。 これが、わたしの発端である。 (1.2) 乳ガンの死亡率の上昇 まず、つぎのグラフをじっくりと眺めて欲しい。これは1970年から2006年までの、日本の女性の乳ガン死亡者数(10万人に対する率)の推移を示している。容赦なく増加し続けていることがよく分かる。 最新データの2006年を述べておく。女性の乳ガン死亡者が11,177人、対10万人率が17.3。(じつは本稿の「暫定版」では、ここに『内部被曝の脅威』からとったグラフを掲げていたが、そのグラフは男性を含めた全人口に対する比率になっていたので、改めて、「人口動態統計」から作図しなおした。) わたしは、ずいぶん多いものなんだなあ、と思った。わたしの知人の範囲でも乳ガンの手術をしたという人が複数いるから、乳ガンの罹患者というのは莫大な数になるのだろう。このグラフは、そういう多数の日本人女性を分母にした、彼女らの乳ガンに関する35年間の「動向」を表現している。 10万人に対する率としている意味を汲みとってもらいたい。たとえば、女性人口がドンドン増加している時期であれば、ある病気で死ぬ人数がドンドン増加するという場合もある。上のグラフが示しているのはそうではなく、日本女性の全体数とは無関係に現れている傾向だというのである。つまり、確かに日本女性は、乳ガンが原因で死ぬ率が増えているということだ。 一貫した増加傾向にあるということは、恐ろしい意味がある。乳ガン検診による早期発見や治療は、数十年前と比べれば手厚くなっている。また、検診に対する女性の意識もずいぶん変わった。だから、乳ガンによる死亡率は減少しても不思議ではないのである。それにもかかわらず、「一貫して」増加しているのである。 これが意味しているのは、次のことしか考えられない。 乳ガンをつくる原因が増加している 前掲の『内部被曝の脅威』p114以下で、肥田は、上のグラフを作成する動機はアメリカの統計学者J.M.グールドの傑出した仕事に触発されたと述べて、グールドの目の覚めるような仕事を紹介している。 アメリカで上のグラフと同様の統計がとられ、1950〜89年の40年間にアメリカの白人女性の乳ガン死亡者が2倍になったことが分かった。その原因を求められてアメリカ政府は、膨大な統計資料を駆使した調査報告書を作成し 乳ガンの増加は、戦後の石油産業、化学産業などの発展による大気と水の汚染など、文明の進展に伴うやむを得ない現象である。とした。 グールドは、この政府の統計処理に疑問を持ち、全米3053郡が保有していたその40年間の乳ガン死亡者数を使い、増加した郡と横這いか減少した郡とに分類して、郡ごとの動向を調べた。その結果わかったことは、けして全米一様に乳ガン死亡者が2倍になったのではなく、1319郡(43%)が増加し、1734郡(57%)では横這いか減少していたのである。つまり、明瞭に地域差があるということである。 しかも、グールドは増加している1319郡について、増加要因を探し、じつに乳ガン死亡率が、郡の所在地と原子炉の距離に相関していることを発見したのである。原子炉から100マイル(161q)以内にある郡では乳ガン死亡者数が増加し、以遠にある郡では、横這いか減少していたのである。(なお、原著からの直接の図が公開されていて、さらに、詳しい説明もついている。High Risk Counties Within 100 Miles of Nuclear Reactors )
原子力施設から100マイル以上離れている地域では、おそらく、40年間の医療検診やガン治療の改善によって死亡者数は横這いか減少を示すという予想通りのことが起こっていた。ところが、原子力施設から100マイル以内では乳ガン死亡者が増加していたのである。これによって、原子力施設から乳ガンの原因物質が排出されているという蓋然性が大きいことが示されたということは出来よう。いうまでもなく、その「原因物質」は放射性物質である、といいたいところだが、状況証拠は濃厚にあっても、そのものズバリを示したわけではない。 重要なことは、これらの原子力施設でなにか事故が起こっていた、というのではないのである。そのことが、とりわけ重要なのだ。日常運転をしていて「原因物質」が周辺に出てきている、と考えざるを得ないのである。これは、かなり絶望的なことだ。 ここでふたたび、許容量という考え方が曲者であることを強調しておきたい。原子炉からは放射性物質の排出をゼロにおさえることは原理的に出来ない。放射性の希ガスは少量でも周辺に排出してしまう(放射性のキセノンとかネオンは気体でしかも化学的に捉まえられないので、どうしても環境に逃げてしまう)。日常的な作業でも、大量の排水のなかには、薄められた放射性物質が含まれている。それに対しては、十分に薄いので「許容量以下」で“健康被害を心配する必要はありません”というおなじみのセリフが出ることになる。操作ミスや重大事故で環境に放射性物質が散逸した場合でも、同じセリフが可能ならくり返される。つまり、ここのキーワードは濃度なのだ。 だが、どうやら上の図のグールドの研究は、許容量以下で日常運転しているのに原子炉周辺は乳ガンの危険性が高いということを示していることになりそうである。 外部被曝と内部被曝のちがいが許容量についても出てくる。内部被曝の場合は、いくら少量で弱い放射線源でも危ないのではないか、という考え方がありうる。体内にとりこまれ、体の特定の場所に濃縮して蓄積されるものがあるからである(ストロンチウムは骨に、ヨウソは甲状腺にというふうに)。つまり、内部被曝の許容量はゼロであるという考え方である。これはECRR(欧州放射線リスク委員会)が取っている立場である。それに対してICRP(国際放射線防護委員会)は許容量を設定しようとする立場である。後者は1928年の第2回国際放射線医学会総会で設置された委員会で、主流の考え方である。肥田は次のように述べている。 人類史上、最大の人体実験ともいわれる広島・長崎への原爆投下があっても、内部被曝そのものに関しては長い間、言及されることはなかった。近年、ようやく内部被曝の存在が注目され、国際放射線防護委員会(ICRP)の見解とヨーロッパの科学者グループ、欧州放射線リスク委員会(ECRP)が出した見解がはっきりと二つに分かれるようになった。前者は内部被曝も外部被爆と同様に許容量を定め、後者は内部被曝の許容量をゼロ以外は安全でないとしている。(p124)ICRPはアメリカのエネルギー委員会の意向を受けて動いているのだが、もちろん、そう単純な話ではない。「ICRP1977年勧告」以来「放射線は合理的に達成できる限り低く」の考え方で、「同1990年勧告」はそれを踏襲している。「許容量」の問題は、原子力産業や放射線医学界などの意向とかかわる、政治的な思惑の錯綜する、素人にはよく分からない分野である。ICRPは新勧告を出そうとしており、「2006年勧告案」が示されているようだ。 「しきい値」のことや、LNT説(線形性でしきい値なしの仮説)のことなどは(7.4)で扱っているが、「許容量」や「リスク論」には踏みこんでいない。 (1.3) チェルノブイリ事故の影響 統計学者J.M.グールドがアメリカの女性の乳ガン死亡率が40年間で2倍になったことを説明するために前掲図に到達し、原子力施設が原因物質を出しているらしいという研究を出版・発表したのが1996年である。それに触発されて肥田舜太郎が作表した前掲グラフをみると1950年の1.7人から2000年の7.3人まで、4.3倍になっている(前掲書p115)。日本の方が、アメリカより明らかに乳ガン死亡率の増加が大きい(倍以上大きい)。 肥田はグールドと同じように、日本で原子力施設から100マイル(161q)の円を描いてみたそうである。すると、列島全体が多重の円で蔽われてしまうという。たぶん例外は沖縄と北海道東部ぐらいだろう。 上の地図はデフォルメされていて正確ではないが、感じはつかめるだろう。ようするに、グールドの考える100マイル基準で、“日本人はみな原子炉の近くに住んでいる”ということなのだ。ともかく、日本の乳ガン死亡率がアメリカの倍以上の割合で着実に増加してきたことは、グールドの100マイル基準の理論とよく合っているといえる。 次に紹介する「チェルノブイリの日本への影響」は、原子炉から出ている乳ガンの原因物質は放射性物質なんだ、と説得力を持って突きつける、もうひとつの実例である。 チェルノブイリの原子炉事故は1986年4月26日のことだった。21年前のことになる。定期点検中に或る実験が行われ、その最中に数秒の間に2回以上の大爆発がおこり、核燃料や原子炉材がこなごなになって吹き上がり、数千mに上がった放射性物質は、最終的には地球全域にひろがった。(チェルノブイリでは定期点検の機会を利用して、特別な実験をしてみようということだった。日本の原子炉の臨界隠し(北陸電力志賀原発1号機、1999年6月)も、定期点検中に弁の操作などをやっていて、起こったことだった。定期点検のときなど普段と違うことをしているのだが、事故はそういうときに起こりがちであることを示している。) チェルノブイリ事故の日本への影響は、1週間以上経って現れている。つぎは、同年5月5日の朝日新聞(原子力安全研究グループのチェルノブイリ新聞切り抜き帖から)。 86/05/05 朝日 「日本各地で異常放射能」日本の放射能対策本部が安全宣言を出したのは、6月6日のことで「5月4日に出した雨水を直接飲む場合は木炭等で漉す、野菜等は念のため十分洗浄してから食べる、などの注意呼びかけ」を解除した。 「チェルノブイリ新聞切り抜き帖」を見ていて、オヤ?と思ったのはつぎの記事。 86/07/02 朝日 「放射能汚染は東高西低」チェルノブイリの「死の灰」は、ジェット気流などで運ばれるのだろうが、青森・岩手・秋田などの東北に強く影響がでたらしい。肥田前掲書は、秋田でのグラフを示している。 1950年以来のセシウム137の秋田での降下量の記録である(たて軸の単位が不明確。ミリキューリーだが、面積や時間の表示が必要)。米ソなどが盛んに大気圏内核実験を行っていた60年代までと、中国が行った70年代と、突出して86年のチェルノブイリ事故の場合がある。その後は急減している。 放射性物質が体内に入ってから乳ガンを発症し死に至るまでに平均して11〜2年はかかるという。日本の都道府県別の経年の乳ガンの死亡率が12人(10万人あたり)を超えているのは、つぎの6県だけである。青森・岩手・秋田・山形・茨城・新潟。次図は、この6県だけをプロットした乳ガン死亡率の経年変化である(肥田前掲書p118)。 (1.2)の最初のグラフと比較してみると分かるが、死亡率が6人を超えるのは1994年あたりで、全国平均も上の6県もそこまでは似たようなものである。がぜん違うのはそのあとの数年間(1996,97,98)のピークである。その数年間だけ死亡率が急に倍以上の12人を超えている。これは、チェルノブイリ事故からちょうど10〜12年であって、乳ガンの潜伏期間に相当していると考えられる。 これら6県に住む女性が不幸にもチェルノブイリからの濃厚な「死の灰」の通過地帯にあって、呼吸や水や農作物を介して放射性物質を体内に取り込んだと考えられる。その放射能は外部被曝の許容量からすると“なんら健康に影響はない”と言いうるようなものにすぎなくとも、内部被曝においては十分に乳ガンの原因物質になり得たということであろう。そう考えるのが、合理的である。 小論が乳ガン死亡率を取りあげているのは、肥田前掲書がそうしているからに過ぎず、原子炉やチェルノブイリの「死の灰」が特に乳ガンに悪い、ということではもちろんない。よく知られているように、小児の白血病や甲状腺ガンがチェルノブイリ周辺で急増して悲惨な様相を呈している(小児白血病については、(その7)で取りあげている)。 その乳ガンであるが、世界的にみれば罹患率のゆるやかな上昇が続く中で、乳ガン死亡率は1990年頃を境にして、それまでの一貫した上昇から一転して、確実かつ持続的な低下に向かっている。その理由としては、検診の普及と抗ガン剤の普及が考えらる。その世界的な趨勢にかかわらず日本では乳ガン死亡率が上昇を続け、2004年は16.1になっている。 次も、ヤフーの「ヘルスケア」からの情報です。ここ 日本における乳ガンは、年間に約4万人が発症し、女性の臓器別ガン罹患の第1位を占め、現在なお増加の一途にある怖い病気となっています。(中略)発症年齢は40歳代後半にピークがあり、閉経後には漸減します。この点、閉経後にも罹患率が漸増する欧米人との大きな違いがみられます。現在、乳ガンによる死亡者数は年間約1万人と推定され、女性のガン死亡原因では第3位を占めていますが、65歳以下女性に限ればガン死亡原因の第1位となっています。家庭での子育てや社会で働き盛りの女性を襲うことの多い乳ガンは、日本社会に深刻な影を落としています。先に示したように、日本の乳ガン死亡率は上昇し続けている。アメリカでは元々は日本よりずっと高く20近かったが、1990年頃から下がって97年頃に日本の死亡率を下回った。アメリカは乳癌の発症率は依然として上昇しているが、死亡率は下がってきた。日本は発症率も死亡率も上昇している。なぜなのか。乳ガン検診の受診率を増やせば解決する問題なのか。どうも、そうは思えない。 乳ガンの原因として、サイトを眺め回ると、水道水・牛乳など経口の原因をあげるものがほとんどで、「近年日本における、和食軽視、食の欧米化が最大の原因と考えられていますが、 日本では乳ガンを発症する患者さんの絶対数が急速に増加しています」(良心的と思える、医師が発信している現在のガン治療の功罪から。)しかし、アメリカの乳ガン死亡率が下がりだしているのに、日本では増加を続けているという現実を前に、「食の欧米化」もないもんだ、と思う。「食の欧米化」が乳ガンの原因であることがたしかなことであるかのような言説がまかり通っているのは奇妙である。 グールドのアメリカの原子力施設近傍の例や、肥田舜太郎のチェルノブイリ事故の例は、放射性チリによる内部被曝が乳ガン死亡の原因(のひとつ)になっていることを根拠をあげて示していると思う。 1979年のスリーマイル島の原発事故のあとアメリカでは原発の発注が止まり、原発の危険性を訴える市民運動の高まりや原発による電力のコスト高も理由の一つとなって、天然ガスによる火力発電が中心になりつつあった。1990年頃からのアメリカでの乳ガン死亡率の減少が、このことを反映しているかどうかは不明である。ブッシュ政権後半になり、原発建設が再開される計画がもちあがってきていて、2008年に建設・運転の許可申請をすれば、30年ぶりの建設ということになるが、まだ、不確定である。 (1.4) アメリカの内部被曝を認めない態度 小論(1.1)の終りに、1968年に日米両政府が国連に提出した「原爆被害報告」は というものであったということを、記しておいた。日本政府は、アメリカを頂点とする原子力体制(原水爆および原子力発電と、それらをまかなうウラニウム・ビジネスの国際巨大企業)に完全に包みこまれているので、たんにアメリカ政府の公式見解に追随しているにすぎない。問題は、なぜアメリカ政府が内部被曝を認めない態度をとりつづけるかということにある。 日本降伏後マッカーサーが厚木飛行場に着いたのが1945年8月30日だったが、その1週間後、ファーレル准将が9月6日に東京帝国ホテルで、連合国の海外特派員に向けて発表した声明は 原爆放射能の後障害はありえない。広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能のため苦しんでいるものは皆無だ。というものであった(椎名麻紗枝『原爆犯罪』大月書店1985 p37)。ファーレルは米陸軍の「マンハッタン計画」(原爆製造計画の暗号名)の副責任者であり、原爆放射能の恐ろしさをよく承知していた人物である。 「マンハッタン計画」の責任者レベルの者たちは、物理学者たちからの情報で原子爆弾とは別に「放射能兵器」がありうることをよく知っていた。(この問題については、「(3.1)放射能物質のバリケード計画」で具体的に触れる。) この問題に入る前に、まず、「内部被曝」の症状は個々のひとりひとりの人間について簡単に実証できないこと、この症状は“疫学的な対象”であること、について説明しておかないといけない。この点の理解が十分でないと、単にアメリカ政府や日本政府が「有ることを無いといって欺している」という浅い理解になってしまう。そして、感情的な反発になってしまいがちである。 最も日常的に定常的に運転されている原発を考えてみよう。 原発はウラン燃料を“燃やして”熱を取りだして、その熱で発電機を回して電気を得ている。ウラン燃料を“燃やす”というのはヒユ的表現で、実際には核分裂が起こっていて、原子核内部のエネルギーが「熱」として現れている。つまり、核分裂の“核”というのは“原子核”のことで、ウランの原子核が幾つかに分裂するのである。その結果できる新たな原子核(もとの核の半分程度の重さになっている)が多くの場合不安定で、放射線を出してより安定な原子核に変化していく。つまり、もともとはウランという重い金属元素一種だったものが、核分裂の反応が起こると極めて多種の元素(200種類を超える同位元素)が原子炉内部にできてくる。それはヒユ的に言えば“燃えかす”であり“灰”である。(誤解のないように付け足しておくが、核分裂の反応がおこることと放射性廃棄物(“灰”)が生じることは同じことを異なる角度から言い表しているのであって、“燃えかす”がでないような原子炉などというものはあり得ないのである。原子炉を運転すれば必然的に放射性廃棄物が生じるのである。)それが恐ろしい放射能をもっているので、それを“死の灰”と言いならわしているのである。公的には(お役所語では)「放射性廃棄物」である。 原子炉は炉内に生成されてくる放射性物質を閉じこめるために、何重もの蓋があって簡単に放射性物質が外部に出てこないように工夫がなされている。ところが、チェルノブイリ事故のような爆発が起こらない、軽微な破損や操作ミスさえもない、ごく定常的な運転が理想的に行われている状態であっても、この「放射性廃棄物」の一部はどうしても原子炉外部へ出て行かざるを得ない。つかまえるのが難しい元素、クリプトン85(Kr85 半減期10.8年)がその代表的なものである。これは気体として環境に放出され、希ガスなので化合物を作らず(だからつかまえようがない)、しかも、重たいので地表へ沈降してくる点も厄介である。原子力資料情報室のデータ、1988年までしかない古いデータだが、大気中のクリプトン85の濃度が確実に上昇していることは確かめられる。なお、放射性クリプトンは天然には宇宙線によって作られるぐらいでほとんどは核実験と核施設から生じたものである。(したがって、下のグラフは最初はゼロから出発したと考えてよい。中国の核実験も終わった80年代以降の上昇分は、核施設からの排出によるものである。半減期10.8年だから核施設を全部停止すれば、徐々に減少に向かう。) 縦軸のピコキューリー(pCi)は確かに小さいが(ピコは10-12)、大気中へ拡散して放出されているのである。ゆえに「安全基準」からすると、“健康に影響はありません”ということになるのである。特にクリプトンは生体を構成する元素ではないので、吸収されて蓄積・濃縮といことはないだろうと考えられている。だが、肺に吸着したり血液に滲透したりして、放射線を出すから、安全とは言えない。 原発に必須の多量の排水の中に水溶性の放射性物質が混入せざるを得ない(トリチウム(三重水素)や炭素14などが心配される)。混入は、原理的にゼロにはできない。なぜなら、化学的にせよ物理的にせよ、放射性物質(廃棄物)をトラップをかけてつかまえるのであるが、完璧に全部の粒子(原子や分子)をつかまえることはできない。ミクロな領域では必ず拡散の法則にしたがって環境へ逃げだす粒子が存在するのである。それをゼロにすることはできない。 これは、理論的に理想的な設計通りの運転が行われている場合のことである。チェック不可能なほどの軽微なヒビや部材の間のユルミ、まして操作ミスや運転ミスなどがあれば、環境へ逃げだす粒子(原子や分子)の数がたちまち何桁か上昇する。それでも「安全基準」からすると問題にならない程度の小さなものである場合が普通である。したがって、原発や官庁が事故の後すぐ“健康に問題有りません”というのは、マニアルどおりにアナウンスしているのであって、ウソをついているのではない。だからこそ問題の根が深いのだ。 では、マニアルに問題があるのか、ということになる。それはある意味では、その通りである。ICRP勧告などを基準にして公的なマニアルが作られるのだから、「内部被曝」が正当に扱われていなかったりしているのである。 もう一度言おう。すべての原子力施設からは、最低でも「安全基準」以下の放射性物質が環境に絶えず放出されている。原子力施設につきものの巨大なエントツと排水口から、排気と排水によって、放射性物質が環境に絶えず放出されている。ここでのキーワードは安全基準である。 自然環境にはもともと存在している放射能がある(もちろん、これは本当です)。通常の土壌や岩石にはウラニウムなど自然放射性元素が極微ながら含まれているから、山に行けば自然の放射能レベルが上がる。宇宙からは宇宙線が絶えず降り注いでいて、大気と反応して様々な放射性物質をつくる(例えば炭素14)。それらの自然放射能のレベルよりも低くなるように「安全基準」を定めています、というのが決まり文句である。ここには、ウソはない。しかし、すべての原子力施設からは、放射性物質が環境に絶えず放出されているということも事実である。 次の例は、建設中の青森県六ヶ所村の「再処理工場」である。 ◆国や事業者、青森県は【再処理工場から出る放射性物質は、できるだけ取り除き】としていますが、クリプトン85の例にあるように、技術的に除去可能な放射能の除去を日本原燃は怠っています。また国もそれを認めています。気体廃棄物としては、放射性クリプトン85が33京ベクレル、トリチウム(三重水素:放射能の水素)は1900兆ベクレル、放射性炭素14が52兆ベクレル、放射性ヨウ素が280億ベクレルなどです。これらの放射能は、高さ約150mの排気塔から排風機を使って時速約70qの速さで大気中に放出されます。情報元は、先のクリプトンの表と同じ「原子力資料情報室」の資料、ここ。大気中、海水中へ放射性物質を早く広くひろがらせて薄めたい、という再処理工場側の思惑がよくあらわれている。 電力会社や原子力施設側が「安全基準」を、本当に守っているかどうか、これは一般市民には確かめようがない。モニターをつくって監視したりすることは意味があるが、根本は原子力施設を運転している側が、全面的に情報をオープンしているかどうかである。放射能は五感によって感覚できない。だからこそ原子力施設にはとりわけ信頼性が求められるのである。この観点からも、日本の電力会社の隠蔽体質がいかに致命的なものであるか、われわれは昨年来(2006〜)の電力各社の呆れ返った不祥事の暴露からよく学んだだろうか。それに対する国の処分がまたまた呆れ返った軽さであったことから、われわれは何を学んだだろうか。 放射能(放射線を出す性質)は、原子核がもっている性質である。元素(ヨウ素とか炭素とかストロンチウムとかウランとかの)のそれぞれの特徴・性質(化学的性質)をきめているのは、原子核ではなくその周辺にある電子である。 一例を挙げよう。ヨウ素127は自然界にあるヨウ素で甲状腺ホルモンを造るために必要なので、人間にとって必須元素である。ヨウ素131は半減期8日ほどの放射性同位元素であるが、これが体内にはいると、生体はヨウ素127と区別できず、まったく同じ扱いをする。それゆえ、放射性のヨウ素131は正常なヨウ素とともに甲状腺に集まってくる。その結果、甲状腺が集中的に放射線で照射されることになり、甲状腺ガンの原因になる。 つまり、放射性物質を生物体内に取り込んだ場合、その物質粒子(原子や分子)はその生理的性質にしたがって体内の特定の場所へ溜まる(ストロンチウム90は骨へ、ヨウソ131は甲状腺へ、カリウム42やセシウム137は筋肉へ、胎児は“小さな総合”であるからほとんど全ての元素がごく狭い領域へ集中する)。環境の中では広く薄く分布していた放射性物質が生物体内では特定部位に集まってくるので濃縮されることになる。これは、生物が自然界の物質を材料にして自分の身体を作り上げるという根源的な能力によって生じる働きである。だから、とどめることはできない。 人間は、呼吸し水を飲み、食物を食べる。海草や野菜、魚や肉や牛乳を口にすることによって、濃縮の濃縮が起こる。特に胎児には多様な元素が必要であるから、体内に入った放射性物質の多様な元素が集まってくる。小さな胎児のなかに形成されつつある更に小さな甲状腺にヨウ素131が集中する、という具合に。したがって、胎児は放射能に成人よりずっと敏感である。たとえば初期胎児が成人の100分の1のサイズだとすれば、体積(重量)はその3乗で百万分の1だから、百万倍敏感なのである。妊娠初期ほど警戒が必要である。 妊娠2ヵ月目の人間の胎児の重さは0.1グラムで、母親の体重の60万分の1くらいである。母親の浴びた放射線は、胎内の胎児に法外な影響を与えてしまう。(『被曝国アメリカ』p403) 体内に取り込まれた放射性物質は、その半減期にしたがって原子核崩壊が起こり放射線を出す。既述のように、外部被曝では問題にならないアルファ線でも、内部被曝で細胞を構成する元素から放射されれば話は別である。その近傍にある細胞器官を破壊したり活性酸素を作ったりする。DNAを変化させることもありうる。ガン細胞をつくりだすことも、あり得る。 このようにして、チェルノブイリの近くだけでなく、数百q以上はなれたヨーロッパでも、甲状腺ガンや白血病の子供が増加したりする。何千キロも離れた日本でさえ、10年以上経ってから乳ガン死亡率が増加するということが起こっている。 これが内部被曝の恐ろしさである。「安全基準」以下の排気や排水であっても、長期にわたって広汎に調べると、原子力施設の周辺ではガンの発症が多くなっている、ということがわかる。逆に言うと、そういう調べ方(疫学的調査=多人数・長期間の調査)をしないと、犯人は原子力施設にある、ということに気づかない。このように調査した後でも、ある特定のガン患者が内部被曝によってガンを発症した、ということは直接的に証明することはむずかしい。なぜなら、ガンの原因は自動車の排気ガスだったり、食品添加物だったり、残留農薬だったり、さらに遺伝的要素も重要だったりするからである。 さきに、内部被曝による発症は“疫学的な対象”であると述べておいたのは、こういうことである。 広瀬隆『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』(新潮文庫 1989)に、とても分かりやすい説得力のある例があがっている。アメリカのネバダ砂漠が核実験場として使われはじめたのは1951年からだが、そこから250qも東にはなれたユタ州ビーバー郡の小学校の女先生、メリー・ルー・メリングという方が、自分の周辺で白血病や各種のさまざまなガンで死ぬ人が増えてきて、おかしいと感じて記録を取り始めた。それが53年からである。この先生は79年までの27年間、こつこつと記録を取って残した。広瀬隆は次のように述べている。 このリストは白血病だけでなく、・・・・ちょっとこの紙一枚ずつの見出しを読んでいきます(その見出しの下に死者のリストがズラリと並んでいる)。前立腺ガン、結腸ガン、リンパ系のガン、リンパ肉腫、脳腫瘍、肺ガン、皮膚ガン、肝臓ガン、子宮ガン、卵巣ガン。こういう形でありとあらゆるガンがたくさん発生しました。甲状腺の障害は、ほぼ10年後から12年後にピークを迎えている。(p108)このメリング先生は、たくさんの流産と重度の障害のある新生児(多くはすぐ死んだ)についてはリストに載せていないと、断っている。 広瀬隆は「時限爆弾」という表現をとっているが、内部被曝がはじまってもそれがガンに発症するまで何年もかかる。甲状腺のばあいは10〜12年かかるという。いずれにせよ、メリング先生のような調査がないと、個々のガン患者の苦しみと悲しみがあっても、それがネバダ砂漠の核実験に原因があるらしい、というふうには結びつかないのである。アメリカにはメリング先生以外に多数の調査レポートがあるのだそうだ。 ネバダ砂漠の核実験場では、1951年から92年までの間に、計925回の核実験が行われ、大気圏内核実験が禁止される1962年まで100回の実験があった。地下核実験は825回行われたが、地下実験でも少なくない放射性物質が大気内へ放出されたことが分かっている。 この核実験場の南にはラスベガスがあり、西にはロサンゼルス(350q)やサンフランシスコ(600q)など大都会があるため、実験はつねに西風の日を選んで行われ、メリング先生たちユタ州側が風下となった(Downwind People 風下住民という語ができたそうだ)。ひどい話だが、風下住民はモルモット扱されたわけである。いいかえれば、実験をする者たちは、“死の灰”が有害であることを重々承知の上で、実験を行っていたのである。 人体実験消えぬ疑惑(朝日新聞、1998年1月20日)は、ネバダの風下住民よりもっとひどい扱いをされたのが、1954年のビキ二核実験による放射性降下物で被ばくした南太平洋マーシャル諸島の住民らであるという特集なのだが、ここでは、ネバダの扱いのみを引用させてもらう。 アメリカ国内では、88年にネバダ実験に参加し、被ばくした軍人らへの健康補償法を制定したのに続き、90年にいわゆる「風下法」(被ばく補償法)を制定し、ネバダ実験場の風下にあたるネバダ、ユタ、アリゾナ州の当時の住民らも補償の対象に含めてきた。どういう論理で「健康補償法」や「風下法」を米政府が作ったのかよく分からないが、個別の症例に対する“補償”は認めざるを得ない状況になってきているのは間違いない。だが、その“補償”そのものが被ばく者に犯罪的な屈服を強いるものになっていることは確かのようだ。(一例として、「原水禁2001年世界大会」に寄せた「放射線被害者支援教育の会/ユタ州ネバダ核実験場風下地区住民」のデニース・ネルソンのアッピール文がネット上で読めることを記しておく。その中には、つぎのような一文がある。 被害者が補償を受けるのには、米国政府の責任と、今後司法手続きには訴えないとする書類に署名しなければなりません。ですから、おおくの被害者は、補償金を「血で汚れた金」と呼んで、補償の申請を拒否しています。政府が、被害をあたえた者を訴える権利を被害者から奪うのは正当ではないと考えるからです。デニース・ネルソンは「20万人以上の被爆兵士、少なくとも2万人の風下住民、数千人のウラン鉱山労働者、そのほかおおくのネバダ実験場労働者がいます」と述べている。被ばく兵士というのは、アトミック・ソルジャーと言われる実験場に動員されていた兵士たちのことである。その数の多さに驚く。劣化ウラン弾の被害にあっている湾岸戦争−イラク戦争の兵士たちの“先輩”というわけだ。) 核実験のそもそもの第1号は、1945年7月16日のニューメキシコ州アラモゴードのマンハッタン計画による、人類最初の原爆実験である(この時の精彩あるレポートは「実験について」というグローブス将軍が書き、トルーマン大統領と共にポツダムに行っていたスチムソン陸軍長官へ緊急飛行機で報告されたもの。その中にはファーレル准将のレポートも引用されている。一読の価値がある)。 46年からはビキニ環礁、エニウェトク環礁での実験がはじまり、これは58年まで行われる。ネバダでの核実験は、前述のように、51年からはじまった(その他アラスカなどでも行われた)。いずれの実験でも、兵士が“核兵器を体験する”という目的で関わっており、核実験の危険性などをまったく教えないまま、無神経とおもえるほどの無防備さで立ち会わせている。わたしは「彼らは実験動物として使われた」と言ってかまわないと思う。そのために、十万人単位で数える兵士に後遺症が出た。 広瀬隆は前掲書で、次のように述べ、被曝(外部被曝、内部被曝)が疫学的対象であることを分かりやすく示している。 アメリカのアトミック・ソルジャーの場合、全米で25万人あるいは30万人という莫大な数の被バク者を出し、これほど大変な問題を起こしながら、どれぐらいかかって分かったかと言いますと、実にこの1980年代になってようやく社会問題になったのです。ということは、この核実験がスタートしたのが1946年ですから、実に40年近くかかってようやく社会問題になった。(p93)なぜ、こんなに時間がかかったか。それは、兵隊帰りの誰それがガンになった、というだけではけして社会問題にはならないからだ。 アトミック・ソルジャーたちは核実験場に狩り集められ、核実験でボンと火の玉があがる場面に立ち合ったあと、みんな自分の故郷へ帰ったのです。ある人はペンシルバニア州へ、ある人はワシントン州へ、ある人はフロリダ州へ。ある日、ある人は白血病に襲われました、2年後か3年後に。ある人は10年後に甲状腺障害で倒れ、ある人は30年後に両脚を切断したのです。こうしてみんな自分の故郷でそれぞればらばらに症状が出たものですから、全然分からなかったのです。(中略)もう一度言っておく。被曝(外部被曝、内部被曝)がガンとして発症する可能性は大いにあるが、それはあくまで疫学的対象であるのだ。だから、あるガンの原因が、何年も前の・何十年も前の被曝であると直接的に実証することはほとんど不可能なのだ。 自分の周辺のガンで死んだ者を思い出したらいい。 俺と同年の彼は、長年ヨーロッパにいたからチェルノブイリの死の灰を受けたかも知れない。いやそれどころか、東欧へ取材に出かけたかも知れない。末期ガンになっても最後まで自分のことじゃないように、ふるまっていた。いまとなっては彼のガンの原因が何なのか、永遠に分からない。特別な状況がない限り、ガンで死んだ者を解剖しようが物質分析しようが、そのガンの原因を突き止めることはできない。ガンの最初は、ただ一個のガン細胞からはじまるのである。 この節(1.4)の初めに、次のように述べておいた。 1968年に日米両政府が国連に提出した「原爆被害報告」は というものであった。日本政府は、アメリカを頂点とする原子力体制に完全に包みこまれているので、たんにアメリカ政府の公式見解に追随しているにすぎない。問題は、なぜアメリカ政府が内部被曝を認めない態度をとりつづけるかということにある。 日本降伏後マッカーサーがコーン・パイプをくわえて厚木飛行場に着いたのが1945年8月30日だったが、その1週間後、ファーレル准将が9月6日に東京帝国ホテルで、連合国の海外特派員に向けて発表した声明は 原爆放射能の後障害はありえない。広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能のため苦しんでいるものは皆無だ。というものであった。 |