炭 焼 と 魚




     十 章

 はじめは七分方入っていた透明な焼酎もあらかた底をついていた。それはまるで砂時計の砂のように、時を知る目安のようであった。私の頭は酔いでぼやけてはいたが、相手の話を理解できないほどには酩酊していなかった。小川の単調なせせらぎの音が時に私の眠気を誘ったが、時折容赦なく食らいつく薮蚊によって再びおぼろな現実に引き戻された。最初は二人でぱくついていた、石鯛の刺し身も煮付けもまだ少々は皿のうえに残っていたが、口が奢り、腹がくちくなるにつれて生臭みが生じ、もっぱら酒の方に二人の口は進んでいった。
 密漁にやって来た男たちが私たちの会話を中断させたが、その後Kが語り継いだ話はおおよそ次のようなものであった。
 大王子の料亭ではからずも肉親以上の情愛を示してくれた「小綺麗な年増の女」への返礼ばかりを考えていたKが、やっとの思いで乾燥椎茸を作り、炭俵の脇にねじこんで勇みはやって新宮に向かったのは七月も末のほぼ夕刻であった。夕刻といっても夏の日は長く、陽が没する迄にはまだまだかなりの時間があった。早朝か、未明であれば納得できるが、夕刻を選んだのには相応の理由があった。新宮までの片道には一泊の野宿がどうしても避けがたい。どうせ野宿をするのであれば、少しでも陽の勢いが和らいだ夕刻にできるだけの道程を稼いで、翌日の昼すぎの内に新宮に入りたかった。また、早朝や昼間であれば嫌がおうでも人目につく。とりわけ学校の仲間や、あの蛇のような陰険で乱暴な糞教師に見つかる心配もないと考えたらしい。大八の進行かなわぬ時刻までありったけの力で飛ばし、涼しい川原で野宿を考えた。その日はKの予定どうりにことは進行して、川原の石ころを枕に満天の星を仰いで寝たそうであるが、明日久しく会うことのできる女のことを思うと、とても熟睡などできなかったそうである。ほの白い空を背景に、異様な化物のようにそそり立った岩肌の山際が寝不足な彼の目に映ったとき、すでに彼ははやる気持ちで満身力をこめて大八を走らせていた。
 新宮の町が山ひとつ向こうに迫ったとき、それまでもかすかに聞いていたサイレンが鋭さを増し、肺腑を抉るような勢いで何度も響きわたった。Kはこの時まで戦況が激烈さをともない、はては国運が斜陽の兆しを見せていたことをも知らなかった。むろん、それは当時の小学生にとって無理からぬことではあるが、わずか一月ほど前に新宮の町での被災を経験しながら、そのことをすら忘れていたように見える。急に彼の心に恐怖心が呼び起こされ、一月前の町の人々の、秩序を失い、土煙のなかで一時、目標を失って右往左往する混沌たる様子が蘇ってきた。とりわけ後足を蹴立てて嘶く駄馬のひん剥いた大きな目玉が理由もなしに思い出された。とりあえず、大八車だけは傍の具合のいい竹薮に突っ込んで単身小脇に新聞紙に包んだ椎茸を抱えて桧杖から新宮の町に抜ける山路を上っていった。幾度か地鳴りに似た重く鈍いエンジン音を聞いたが、それは地底から響いてくるのではなく、まさに彼の頭上から伝わって来るのを改めて知った。積乱雲の輪郭がどこまでも真っ青な空に区切られて、二三機のB29が比較的低空を飛んでいたが、やがて次第に高度を上げて去っていくのが見て取れた。
 トンネルをこえると、異様な臭気が彼の鼻を突き、真近の山裾を縫って煙が彼の足元まで上ってきた。彼はとっさに山路を駆け下り町に出た。町中は煙がひどく充満し、幾度となく吸い込んではむせかえった。遠くの家並みは水墨画の遠景のようにおぼろげな中にかすかにその輪郭が識別できた。濛々たる煙は衰えることを知らず、次から次ぎへと襲いかかってきた。煙の渦から辛くも逃れ、ようやく周りの様子が朦朧として姿を現した時、Kは自分が今歩いているのは高等女学校の校舎の付近であることに気が付いた。あるべき筈の校舎はなく、それは石ころかなんかで叩き潰した玩具の家のように無残な残骸を見せており、屋根瓦が四周に飛び散っていた。消火にあたっている人影が煙の合間から見えたが、崩れ落ちた黒い木材や瓦礫の中から何箇所も火が吹き出しているのが見えた。むしろ校舎そのものよりも周囲の民家のほうが火勢が強く、完全に焼け落ちた家や、今まさに焼け落ちる寸前の家もあった。Kは再び煙を突き破って走って行った。おそらくこれから訪ねる大王子の家も火中にあることが想像できた。女学校を過ぎて大社様に向かう道を東に取りつつ、ありったけの力を振り搾って走って行った。町中は逃げ惑う人々の群れが方向も無茶苦茶に混雑しており、消防団らしい身なりの者たちに突き倒されては地面に這いつくばっている者もあった。喚き散らすものがあるかと思えば、無言で駆け抜けていくものもあった。どこからか「阿須賀様の方がやられてるぞ。」とか「丹鶴の城が燃えとるぞ。」とかの叫び声がKの耳に飛び込んできた。中には「艦砲射撃や。」「二百五十キロ爆弾や。」などの耳慣れない言葉も聞こえてきた。
 しかしKの予想に反して、大王子の路地に折れ曲がってからは今までの様子とは違って落ち着いていて、幾そう倍か人の出も少なかった。みんなどこかに避難してしまったのか、まだ防空壕に隠れているのか、民家の中からは人声も漏れてこなかった。めざす家にやっと行き着いたとき、別段前に訪れたときと変わった様子もなく自分が心配しながら息急き切って走ってきたことがなんだか馬鹿馬鹿しく思われた。入り口の戸はなんなく開いたが、声を掛ける前から人のいる気配は感じられなかった。薄暗い玄関の上がり框に汚い新聞紙に包んだ軽い乾燥椎茸を置いて、Kは主人や女の帰りを待とうか、引き返そうかと思案した。サイレンが耳をつんざく勢いで真近で鳴ったが、それは空襲の解除の合図であるのか、警報であるのか彼にはわからなかった。しかし、ここでじっと待っていることはとてつもなく危険なことであることが感覚的に実感された。そして、一方ではこのまま帰ってしまえば二度とこの家の敷居を跨ぐ機会を失してしまう予感がしていた。
 表通りに出たところで、裏山の方からぞろぞろと人の群れがこちらの方向に歩いて来るのに出会った。二三の人はKの顔を見ては訝しげな表情を示してすれ違った。どうも人々は防空壕から出てきたらしかった。たぶんあの家の主人も女の人も濠から戻ってくるに違いないと思いなおして、再び門前まで引き返した。真昼時はとうに過ぎているのか、急に激しい空腹が襲ってきた。脇腹に自分で縫い付けたポケットの中に蒸かした芋があるのを思い出し、門塀に背中をもたせて皮も剥かずにかじりついた。食べ終わっても、飢えはおさまらず、前より激しく感じられた。どのくらい過ぎた頃であろうか、遠くの方でバタバタとした足音の合間に入り交じって何やら人声を聞いたような気がした。芋を食って何時の間にやら寝てしまった自分に気付いた時には玄関横の縁の戸が開け放されて、すでに五六人の男たちが庭の中に立っていた。だれもが黙祷するような姿勢で無言のままに佇んでいた。Kにとってはとても不自然な時間が不自然なままに停滞しているような感じであった。
「可哀相な目におうて、成仏してなあ。」というか細く搾りだすような男の嗄れた声が聞こえた。声の主は男たちの陰になっていてわからなかったが、近寄って男たちの間隙を背伸びして見ると、縁の上に額もくっつきそうに背中を丸めて座った主人の姿があった。その主人の目前に白っぽい浴衣とも思える粗末な袷に身を包んだ女の死体が仰臥して置かれてあった。やや捻れて庭先に向けた顔にはすでに生気はなく、白蝋の口から引かれた血液の跡が鮮やかであった。さらに腹部は無残な血痕で染まっており、血液の全てが流出し尽くしたことを物語っていた。Kには今目前している様がしばらく現実であることが納得できなかった。彼女の生と死の間隙の時間を埋め合わせて自身に納得させる余裕すら持てなかった。悲しみの情感すらもがどっと身を突き上げてくる暇も持てなかった。今しも、死人の口からあの優しい笑みがこぼれてきそうな気がしてならなかった。今にも、立ち上がって、煤けた汚い自分の顔をひんやりとした手拭で拭いてくれるような気がした。死体とともに担架で運ばれてきたと思われる朱に染まった風呂敷包みが傍らに無造作に転がっていた。それはこの女の血液のかぎりを吸い込んだような感があった。たぶん直撃弾の破片に体を突き破られる死の瞬間まで抱えていたのだろうと推測された。主人は力ない緩慢な動作でその荷物を自分の方に引き寄せると、結び目を解き始めた。しかし、その行為自体に自ら何の目的も持っていない様子であることが子供のKにも見て取れた。それは主人の頭の中に深く凝縮して払いどころのない現実の哀しみが取らせた無意味な所作のように思えた。
 庭に佇んでいる人々は終始沈黙していた。それらの表情はうかがうことはできなかったが。全てがうなだれた格好でうつむいており、誰一人動くものもなく、声を出す者もなかった。そんな静謐な周囲の空気を破って、再び主人の嗚咽が聞こえた。血塗れた風呂敷を解き終えた瞬間に転び出たのであろう、丸い一個の小さなキャベツがまるで赤カブのように死体の傍らに置かれていた。
「こんなもんを、大事後生に抱えてなあ。」その声はかすかに聞き取れた。
 忘れていたようにサイレンがけたたましく尾を引きながら鳴りだした。静まりかえっていた人々の中からわずかに動揺が起ったが、目の前の不幸な死人と主人の心持ちを察してか、すぐもとの静けさにかえった。先程のサイレンが空襲の解除の信号であれば、今回のそれは警報に違いなかった。板敷の縁の上で痛ましい追悼に耽っていた主人はおそらくこのわずか数分の間、空襲の現実の中に置かれていることを自身忘れ去っていたに違いない。ふと、自分で努めて冷静さを装う風に
「皆さん大層お骨折りをいただきました。どうかお引き取りください。今夜にでもささやかな通夜をしてやって明日にでもこの娘の郷里へ送り届けたいと思います。警報も鳴りました。さあ、急いでお引き取りください。」人々は無言のうちに一人また一人といった具合に立ち去って行った。Kはだだっ広い庭の躑躅の植え込まれた池の傍にとり残されて、、縁の上からいつまでも離れようとしない主人を見つめていた。空腹と疲労が一時に襲ってき、視界がぼやけてくるのが自分でもよくわかった。遠くの方で大きな爆発音がしてしゃがみこんでいるKの足元まで地揺れが伝わってきた。飛行機の爆音が相変わらず不気味に鈍く大気を震わせながら響いてきた。主人はその時になって初めて遺体を抱えて部屋のなかに運び込もうとしていたが、もはや初老の力では及びそうになかった。弾き飛ばされそうな爆発音が至近の距離で起った。蛙が驚いて飛び跳ねるようにKは縁の上に駆け上って主人と一緒に遺体を部屋のなかに運び入れていた。主人は薄暗い部屋の中で煤と垢に塗れた彼の顔をしばらく怪訝そうに見つめて、やっとわかったらしく「坊か。」と感慨をこめて呟いた。




      十一 章

 最早、飲むべき焼酎は底をついて、瓶には一滴も残ってはいなかった。Kは酔いの余韻によって語り、私は私で余韻によって聞いていた。相変わらず襲い来る眠気は如何ともしがたかったが、時折激しい感情に身を委ねるKの話しぶりで、自然に出てくる欠伸を私は噛み殺さざるをえなかった。途中で私の方からさし挟みたい疑問もあったが、そうすることすら何だかためらわれるといった雰囲気が醸しだされていた。こうなったら彼の語るがままに語らせ、聞くがままに聞いてやれと半ば自棄くそな気分であった。以前のように夜叉のような姿でKのかみさんが乗り込んでくることは予想したが、もうこんな時間ではその怖れもないように思われた。たとえ乗り込んできても、今の彼の状態から言えばむしろ逆にかみさんの方を追い出してしまいそうな様子であった。
「えらい長いこと話し込んでしもたけど、かまわんかいのう。」とすこし遠慮深げに尋ねてきたが、私は私で、「わしの方は朝まででも一向にかまわん。」と言ってやった。彼は以前と変わらぬ調子で、
「その晩はほんまに寂しい通夜やったのう。」と切りだした。
 遺体があまりにも無残な損傷を受けていたので、このままの状態では、仏が余計に哀れで埋葬してやっても浮かばれないだろうと、主人は近所の老婆に湯潅を頼みにいった。老婆は機嫌よく引き受けてくれたと見えてまもなく主人に連れられてやってきた。遺体は普段女が使っていたと思える布団の上に寝かしていたが、昼間からKは何度も自分がかつてしてもらったように手拭を絞ってきては女の顔を拭いてやった。一度しか見たことのない顔をこの時まじまじと見ることができた。色白の黒髪に恵まれた、特に富士額の生え際と三日月に似た眉がKには印象深かったらしく、話の中で何度となく繰り返して私に語った。老婆は数珠を持って上がって来ると、すぐ様遺体の真横に座って「なむあんだぶつ、なむあんだぶつ」と数珠を何度も両手でこすりあわせて弔っていたが、やがて主人の方に顔を向けて
「お八重さんも苦労するためにこの世に生まれてきたようなもんじゃなあ。」としみじみとした調子でなかば独り言のように呟いた。主人はそれには答えず遺体の顔に目をやっていたが、老婆の言葉が再び彼の感情の琴線に触れたと見えてしばらく止まっていた大粒の涙を流しだした。
「どれ、そいじゃ湯潅をさせてもらおうかのう。」と腰でも痛むのかゆっくりと立ち上がって、台所に下りていった。Kもその後についていった。その時初めて老婆はKに気が付いたと見えて、
「お前は、誰かいのう。」と驚いたように言った。主人もちょうど下りてきて助け船を出してくれたおかげで老婆もすんなりと納得した。
 老婆の指図でKは暗い戸外の井戸から水を汲んできては大鍋に入れたり、薪が足りなくなると走っていってはクドの傍らに積み上げたりした。明かりのない真っ暗な台所は、Kが次から次へと放りこむ薪の炎がまばゆく明るく揺らめいた。老婆の口から一言出た言葉である「苦労するために生まれてきた」女の、その内容はKにはまったくわかる術はなかったが、暗い孤独な不幸な死に対するせめてもの弔いの儀式として、かれはやたらと不必要に薪を放りこんでいった。夕刻の六時頃に空襲の解除のサイレンが鳴った後は、町中はしんとした夏の夜の静寂に包まれているらしかった。しかし、たぶんどこかでそれぞれに事情の違った生き方をした人々の屍が、異なった儀式でもって追悼されているに違いないことが想像せられた。屋外に光が漏れるほどの竃の火を見ても主人は咎めなかった。
「湯はそのぐらい沸かしたらええ。」と老婆は汗の吹き出たKの顔を見ていった。 「湯潅は、ここでやる方がいいかのう。それとも別の部屋にしょうかのう。」と主人は遺体の傍から老婆に問いかけた。
「あんたと、この子とでは運ぶのもえらいやろう。そこでやるから、その間どこかに移っといてもろたらええ。」と彼女は行水用の盥を座敷に運び上げるようにKに指示しながら、皺くちゃの顔だけを主人に向けて言った。
 桶と盥や綿布と手拭などのすべてを用意し終えて、老婆がひどく血塗られた粗末な袷の紐を解きにかかった。主人とKは奥の部屋に蝋燭をともして入っていった。しばらくはKにはその部屋の様子がわからなかったが、次第に目が慣れてくるにつれておおよその模様が読み取れてきた。主人の説明を受ける迄もなく、死んだ女の使っていた部屋であることが推察された。女は死んでしまっていたが部屋にはまだ生きている女の匂いが強く残っていた。主人は畳の上に背中を折り曲げて座った。片隅に遠慮がちに置かれたみすぼらしい小さな鏡台や小さな箪笥、狭いながらに掃き清められた古ぼけた畳の面を虚ろに目で追っていると、初めて、Kには「お八重さん」がもうこの世の人でないことが生々しい現実感をともなって胸に突き上げてくるのを覚えた。涙がポトポトととめどなく畳の上に落ちた。無言のままに座っていた主人が何を思ったか、急に一脚の小さな机ににじり寄っていき、引き出しの中から一枚の紙切れらしきものを取り出してKに見せた。それは黄ばんだ不鮮明な一葉の写真であった。部屋には先程から蝋燭が一本頼りなげな炎を燻らせていたが、その明かりではとうてい識別のできない代物であった。わずかに少女らしき女子と小さな男の子が手を結わえて立っている様子がかすかにうかがえた。
「大きいほうが八重さんで、小さいほうが八重さんの弟や。」と主人が説明を加えた。しかし、大人の彼女しか見ていなかったKにはその写真からはどうしても面影を発見することは無理なことであった。
「小さいほうが弟や。」と続けて主人が言った。Kは返事をしなかった。また返事のしようもなかった。
「八重も弟も、出身はおまえと同じ本宮でな、どう言うたらええのやろう、貧乏のどん底で親に売られた身やった。」主人はあまり乗り気でないような話しぶりで、そこまで言って言葉を切った。Kの方も別段主人の話を聞きたいような気がしなかった。「わしが最後に引き取ったのはこれも縁というやつじゃのう。ようわしに尽くしてくれた。弟は別のところに売られたんやが、たぶん大阪辺りやないかと八重はよう言うとった。親はとうの昔に死んでしもて、残る血縁は行く方知れずの弟だけやから、どんな目におうても探しだして一緒に暮らすんが夢やとそればっかり言うとった。何度も何度も当てもないのに大阪へ探しにいく言うて、わしが止めたことやら。今は戦争の最中やから、終わりでもすれば、わしも一緒について行って探すからどうか止めといてくれと頼んどったんや・・・・・。それがもう会うこともかなわんようになってしもた。弟も、空襲で焼け死んだかもわからん。」そこまで話して、主人は目頭を押さえた。
「・・・ただせめても幸せやったのは、お前が別れた当時の弟によう似ている言うて、来るのを楽しみにしとった。ここ二三日空襲がえらいから、あの子にもしものことがあってはいかんと言っては仏さんに拝んどった。それが自分のほうが先に死によって。」あとの言葉は哀しみよりむしろ悔いが先んじて憤りが感じられた。Kは初めてお八重さんがなぜ自分のような者に、親身な優しさを示してくれたのかが納得できた。主人の説明はお八重さんの人生の事情を知るにははなはだ粗末なものであったが、Kにはそれだけで十分な気がした。お八重さんと主人のつながりや、貧しいからといって親がなぜ血を分けた子供を二人も売ってしまったのか、売られたお八重さんをどうして主人が引き取ったのか、本宮のどこの出身であるのかなど、聴こうと思えば数々の疑問が思い当ったが、彼は強いて聴く気にはならなかった。また主人の方でも、最初の話しぶりから、故意に深い事情に立ち入ることを避けている節があった。それはどのような思惑があってのことかKには知る由もなかったが、突然のお八重さんの死の現実を前にして、いかなる言葉も、いかなる過去すらもが虚しいといった脱力感が無意識のうちに二人の感情を支配してしまったように思えた。
 嗄れた老婆の声が向こうの部屋で呼んでいた。主人とともに部屋を出て、遺体の置かれた部屋に再び戻った。老婆は皺くちゃの顔に汗の玉を浮かべてしばらく肩で息をついていた。それは湯潅の作業がこの高齢の老婆の肉体にとって過重な労働であったことを物語っていた。
「顔をそむけとうなる酷い遺体やった。きれいに洗て傷口は全部綿を詰めさせてもろうた。きれいな体やっただけによけい哀れやった。」と老婆は誰に向かってということもなく言った。主人との申し合わせが事前に済んでいたらしく、夏の一張羅であったらしい涼しげな清楚な浴衣に着せ替えられ、髪の毛は梳られて、顔には紅が施され、口紅が鮮やかだった。そして、合掌した両手には数珠が握られていた。
 坊さんもいない通夜が同じ部屋で始まった。遺骸の枕辺がちょうど仏壇にあたっていたので、主人は二本の蝋燭に次いで線香にも火を点じた。暗い部屋の中で貧弱な炎がかもしだす光が予想外に明るく感ぜられた。線香の青白く細い煙が緩やかな曲線を描きながら当てもなくたゆたっては上方に消えていった。死者に捧げる供物らしいものは何もなかった。Kは忘れていた椎茸のことを思い出し、玄関の上がり框に行ってみすぼらしい新聞紙の包みを持ってきて仏壇に供えてやった。子供心にその軽さは目前の薄幸の女の生命の軽さのように感じられた。主人は仏壇に向かってただ一つ知っているらしい般若心経を何度も繰り返し読経した。老婆は背中を丸めていかにも疲労困憊した感じで、両手だけを不調和に前に突き出し合掌していた。三四人の通夜の客が静かに入ってきて遺体の足元に正座した。揺らめく蝋燭の炎の前で、主人の単調で力のない声だけがいつ果てるともなく蒸し暑い部屋の中で響いていた。





      十二 章

 お八重さんの遺骸を乗せた大八を先頭に、棺桶を乗せたリヤカーが後につづくといった格好で、大王子の料亭の門を潜ったのは、朝もまだ明けきらぬ未明の頃であった。幸いなことに、昨日の激しい空襲は今日はなく、出発して以来一度もサイレンは鳴らなかった。余所目には正体のわからぬ珍奇と思える二台の荷車は、熊野川の流れを右手に見下ろしながら、厳しく容赦のない真夏の太陽に焙られつつ黙々として進んでいった。途中でリヤカーに積んでいた棺桶をKの大八に積み直してK自身が梶棒をとっていた。主人はその後から荷を押すかたちでついていた。炭俵は主人が旧知の民家にあずかってもらったので、棺桶だけを乗せたKの車は軽く、何度も主人に荷台に乗るように勧めたがその都度「大丈夫、大丈夫」の一点張りで乗らなかった。先導の荷車の梶棒は棺桶を作った桶屋の頭領が握っていた。その後にはやはり主人と同じような形で初老の男が押していた。

 未明に、Kは棺桶を釘付けする音で目醒まされた。外はまだ薄闇が大半を支配していて、そのおぼろげで頼りない光の中で二人の男と主人が忙しそうに立ち働く姿が認められた。棺桶はほとんど完成間際で、頭領がくるくると側面を一回しして点検すると、ぽんぽんと両手で叩き、主人の顔を見て、
「これで大丈夫や。」と言い、つづけて
「仏さんはどうしましょうかのう。」と言った。主人は遠慮深げに労ってから、
「亡骸をこれに入れて本宮まで運んでいくのは何としても忍びん。せめて埋葬してやる時までは、大八かなんかで運んでやりたい。すまんがわしの無理を聞いてもらえんかのう。」と丁重に懇願するように言った。普段何くれとなく面倒をみてやっていると見えて、
「そりゃあもう、旦那さんの都合のええようにしてもらえば、わしらのことは斟酌せいでも。」と直ぐさま頭領が答えて、門を出ていった。Kと主人は、その後で昨夜のお八重さんの部屋に入っていって、身のまわりの遺品らしいものを整理したものの、身寄りのない里に持って行くわけに行かず、大方は主人がそのままにして、埋葬時に葬ってやることのできる小さな貧しい品々だけを風呂敷に包んだ。Kは昨夜見せてもらった黄色く変色した写真を小机の抽出から取り出して、昨夜のままに合掌しながら静かに仰臥しているお八重さんの浴衣の懐中に入れてやった。
「ようし、仏さんを運んでくれ。」庭から、頭領の声が聞こえた。主人はまだ新しい客布団を押入れから取出し、頭領が運び入れた大八車の荷台いっぱいに敷き広げた。みんなして、お八重さんの亡骸を運び出して、その上に静かに寝かしてやった。死体はすでに硬直していて、荷台に移してもほとんど体形を直す必要はなかった。Kには昨日と違って、生と死が画然として区切られ、自分のどのような思い入れも滑り込ませる余地が厳しく遮られているような気がした。死を死として客観視でき、お八重さんが自分の手の届かない世界に行ってしまったことをこの時はじめて納得することができた。
 頭領がお八重さんを寝かした荷台のうえに、杉板を組み合わせて天蓋をしつらえた。削りたての杉の香がかすかに周囲の黎明の大気と溶けあって、死者の旅立ちにふさわしい雰囲気を自然のままに醸し出していた。すでに曙光の予兆の感じられる夏の空はくすんで白々と濁り、今日一日の酷暑が予想せられた。Kは主人に言われるままに他の男たちと台所に行って、昨夜老婆が用意しておいたのであろう、薩摩芋だけが白湯の上に浮かんだ茶粥を何杯も啜り込んだ。

 荷車は順調に進んでいったが、予想していた通り、まず老齢の主人の疲労を皆が心配しだした。土気色の表情と吐く息の具合から見ても、この先いくばくの進行もかなわぬ様子が傍目にもよく見て取れた。頭領が何度も気を利かせて荷台に乗るように勧めたが、頑固なほど受け入れようとしなかった。陽は頂点よりやや西に傾きだしてはいたが、灼熱の光線は勢いを緩めずに襲いかかってきた。頭領が梶棒を静かに下ろして腰の手ぬぐいで流れる汗を拭いてから、Kを手招きした。彼は荷車から離れて、五六歩先に歩いていったところで立ち止まり、Kの耳元で囁くように言った。「ちょっと交替してくれ。そうでもせんと、旦那が荷台に乗ってくれん。」Kは頷いて先頭の梶棒を握って歩きだした。後の方では頭領が主人を説得してもなかなか主人が肯んじないらしく、
「旦那さんに倒れられたら、八重さんを葬ることもできんでのう。」と頭領のやや大きな声が聞こえてきた。渋々ながら納得したらしく、Kが振り向いた時には済まなさそうに荷台の棺桶の傍に腰を下ろして座っている主人の姿があった。
 幅広い熊野川の水面をうんだりするほどぎらつかせていた長い夏の陽光が、次第に衰えを見せ、険しく切りた立つ山々の陰影をぼかしはじめた。一行は目的の地まで三里くらいのところまで行き着いていたが、皆の疲労も深く、とりわけ主人の疲労は重かった。どうせこのまま進めていっても、目的地には真夜中に到着するすることが予想せられた。一応、どのようなことがあるかもしれぬと想定して、出発の時に、松明用の肥松をたくさん積んで来たが、路面はささくれだって掘れ込み、大小の石ころが至る所に転がっている路上を進行することはこの上なく危険であった。頭領が判断して、一行は荷車をやや広く削り取られた山裾に安置して、川原に下りて野宿することにし、翌朝の未明を期して出発することにした。頭領の指図でKはたくさんの肥松を腕いっぱいに抱えて川原に下りていった。人々は、一日の汗と埃で汚れた体をそのまま流れに浸けて沐浴していた。川面は昼間と違って、衰えた陽光を穏やかに反射させながら優しくたゆたって流れていた。全裸になって水中に飛び込んだKは身の引き締まる心地を覚えながら首だけを水中から出して浸っていた。昨日から今日にかけてのいろいろな出来事がとりとめもなく思い返された。誰が点けたのか、川原では赤々と薪が燃え上がっていた。周囲には民家は見られず、警防団が注意しにくる気遣いはなかったが、多分上空から見れば被弾の対象と見られるに違いなかった。それは長い間暗く閉じ込めらてきた人々の怨念の炎のようでもあり、不運な女の魂の冥府への旅立ちの印でもあるかのように、篝火はいつまでも赤々と長々とその影を川面に揺らめかしていた。
 暁の靄に包まれた大日山が黒く屹立して望まれた。粗末な民家が山襞に額をくっつけるような危なっかしい形で密集して立っていた。一行は、荷車を止めて棺桶を静かに地面に下ろし、お八重さんの遺骸と生前彼女が使っていた数少ない粗末な遺品を納めた。皆は棺に納まった痩せていくぶんか小さく見える清楚なお八重さんの遺骸に向かって最後の合掌をした。主人の目に改めて光る涙が見えた。一本一本と棺桶の釘を皆で拾い集めてきた石ころで打っていった。その音は静寂を破り、眼下の熊野川を渡り、木霊となって跳ね返ってきた。棺の四隅を四人で担いで小さく区画された田畑の畔道を伝い、上っていった。杉皮葺きの屋根に石ころを乗せた、いずれもが頼りなげで、汚れた小さな家々が坂道の途中途中で逼塞するように肩を並べて支えあっていた。狭い路地には人影はなく、どの家に入ってお八重さんの親戚を尋ねればいいのかためらわれた。やがて、一軒の煤けた戸口が開いて、色の黒い痩せ細った老人が屈曲した腰を無理に伸ばすような格好で一行を不審げに眺めた。棺を路地に置いて、主人は人のもとに近寄っていき、何かぼそぼそと言っている様子であったが、耳が遠く要領を得ぬと見えて、「お八重さんの親類の者はおらんかのう。」と耳元で怒鳴りつける大きな声が聞こえた。その声に驚いたと見えて隣家の戸が開いて、今度は中年の女が路地に姿を現した。主人は老人に背を向け、女のもとに歩んでいった。女は何か言いながら、さらに上方の民家の集落を指差し、自身案内をしてくれると見えて先頭に立って坂道を上りだした。四人して棺も担ぎこめない狭い戸口をやっと棺だけを押し込むような形で、土間に入っていった。中は暗く、Kにはウバベ樫や楢の木を入れて焼く我が家の炭焼き窯が瞬間蘇ったように思えた。それはただ雨露をしのぐだけの掘っ立て小屋であり、クドや台所や寝室や居間といった区切られた建築空間の存在しない単なるねぐらのように思われた。もちろん、Kの山での仮住まいも似たようなものであったが、在所には貧しいながらも小さな持ち家があった。お八重さんの姉弟二人が身売りをさせられたいきさつがそのままで納得せられた。六十を超えたと察しられる初老の夫婦に向かって主人がことの顛末を説明しているらしく、夫婦は頷きながら聞いていた。時折、主人の背中越しに、汚れた襤褸のような前掛けを持ち上げては同じように汚れた顔の涙を拭くらしい、かすかな鼻水を啜り込むような音が漏れ聞こえた。やがて亭主の方が戸口から出て行った後、寝床と思えるむしろの上で貧しいもてなしの茶の振る舞いを受けて、疲れ果てたそれぞれの体を三々五々に横たえた。
 再びお坊さんのいない葬式が始まった。しかし、この貧しい村の奇妙な葬儀は、それぞれに役割分担を厳しく割り当て、秩序立ち理路整然として進行していった。和尚役の長老が先頭に立ち、いつのまに用意したのか、輿や鉦や位牌や笹竹といった儀式の品々を持った年配の男女が黙々と列をなし、頭を垂れて歩んでいった。おそらく、生誕に始まって死にいたるすべての儀式を彼らは古くから他人に頼らず、自らの手で工夫を懲らして執り仕切ってきたであろうことが、誇らかとも思える自信に満ちた長老の読経の声からうかがいとることができた。葬列は細い畔道を伝い、目も眩みそうな退屈な熊野川のせせらぎを眼下に望みつつ、急な勾配を緩やかに下っていった。棺桶が土中に納まり、高く積み上げられた新しい盛り土の上の線香から、幾筋もの煙がたゆたい流れては暗く狭い谷間の中に消えていった。周囲には戒名も享年も持たぬ古びた石ころの群れがひしめきあい、熊蝉がまるで荒法師の雄叫びのようにそれらの上に降り注いでいた。
 葬儀が終わり、人々はそれぞれにもと来た道を辿って帰っていった。Kと主人の一行は遺骸を棺に納めた地点で佇み、細く急な畔道の勾配を無言のままに上っていくそれらの人々の無気力な足取りを放心した心地で眺めていた。やがて主人たちはKに別れを告げて遥か遠く歩んできた道をとぼとぼと虚脱した足取りで引き返していった。延々と蛇行して流れる熊野川の彼方に、果てしなく幾重にも折り重なった山々が見はるかされた。Kは再び梶棒を力なく握りながら、山猿のごとくに炭を焼いているであろう親父のもとへ帰らねばならぬと思った。




      終 章

 酒を飲むたびに私との親密の度を加えていったK氏が幼い時分の自伝を物語ってくれたが、薮蚊と睡魔に襲われる中での聞き取りであってみれば、私はどの程度正確に彼の話を聞き取っていたかは自信がない。まして子供の頃の話であってみれば、これまた彼の心情を何処まで掴んでいたかについてはことさら自信が持てない。とにかく私が憶えているのはお八重さんの葬儀を済まして親父の待つ山奥に帰るところまでであったような気がする。そのまま私の方が先に眠ってしまったのか、語り部のKが先に眠ってしまったのか今にしてもわからない。破れ障子の朝の陽に起こされて部屋中を見回したときにはすでに何処にもKの姿は見当らなかった。そして、あの日の話がそのままで起承転結をなした全ての顛末であったのか、それとも、語るべき中心が他にあったのか、そのあたりの彼の意図が今だにわからない。わからないままに疎遠になり日々が過ぎていった。
 Kのかみさんの躁鬱病は夏の暑さとともにサイクルを短くしていくように思われた。彼が何時の間にか姿を消していたあの日から二三日がたって、いつもの調子でふらりと玄関を入ってきて、にこやかな表情を取り繕って亭主がいつも世話になって申し訳ないと礼を言って帰ったと思えば、また二三日たつと、眉を釣り上げて入って来ては「うちの亭主に酒を飲ますな。」などとえらい剣幕で捨て台詞を残して帰っていったりした。特に欝の状態に入った時には親子ともども暑苦しい家の中に閉じこもって、終日外には出てこなかった。Kがここ数日姿を現さないのは山奥の炭窯に一人こもって炭を焼いているからに違いなかった。かみさんが亭主に酒を飲ますなと私に言ったことは単に病気が言わせたものではないような気がした。あの晩、磯魚と焼酎とを前にして幼い日の思い出を語って帰った後で、夫婦の間に一悶着があって、それが原因でかみさんの病が再発したとも考えられた。たぶんそんなことがしこりとなってかみさんの頭の中に残っていたのだろう。私は何だかKに悪いことをしたような気分で気がめいっていた。しばらくは子供たちの水泳教室の仕上げに精を出してKのことを忘れてしまった。
 久しく会わなかったKが再び私の前に姿を見せたのは、鮎の解禁日のことであった。太田川を遡上してくる鮎は小匠の防災ダムに遮られて、それから上へは上らなかった。そこで春先になると稚魚がダムに放流され、豊かな苔を食みながら樫山川を上ってきた。初夏ともなるとあちこちの水底に彼らの逞しく成長した群れが見いだされた。もともと村人たちはタンパク源に恵まれず、新鮮な魚介類を食卓に乗せることはめったになかった。だから彼らはこの日のくるのを楽しみにしていた。前日には山仕事や畑仕事をほっぽり出して、鮎の魚影の濃い淵々を下検分しておいて、夜明け前からグループに分かれて陣取った。私も前々から招待を受けていたので、この日は学校を臨時休校にして参加した。たまたま私のグループがKと同じで、久しぶりに顔を会わすことになった。ここの漁法は一風変わっていて、上流と下流をコタカと称する網で断て切り、その間に挟まれて逃げ場のない鮎をそれぞれが持ってきたヤスで突いて獲る漁法である。夜明けから夕方までわたしたちは子供のような歓声を上げながら鮎を追って回った。隣のお爺ちゃんなどは乳癌の手術で失った両乳首のない裸体を躍動させ、子供のように嬌声を上げてはしゃぎ回っていた。Kは苔のぬめりに足を奪われ、深い淵で溺れているところを私と子供の父兄が飛び込んで必死で救け上げたりした。一日の漁が終って、三々五々、それぞれに川の各所に散っていた村人たちが所定の川原に集まり、この日の獲物を出しあって、等分に分け合った。私などはほとんど一匹も獲れなかったが、人並みに配分されて恐縮した。
 その夜、私は頭の片隅でKのかみさんの捨て台詞を気にしながら、川魚の淡泊な料理をつつきながら再びKと対座した。別段、この時は先日のKの話の続きを聞こうとして私が誘ったのではなく、彼の方から勝手に私に随いてきた。この時はもう周囲が暗く、普通なら電灯が点いていて不思議ではなかったが、Kの家は寝静まったように暗く閉ざされていた。久しぶりに炭窯から帰っても家に待ち構えているのは無言の鬱病のかみさんであり、かみさんの威嚇のもとに言いなりになっている息子であってみれば、彼の足も家に向わなかったとしても無理からぬことであろう。私はまたかみさんに文句を言われることを覚悟の上で随いてくる彼を拒まなかった。煙と酷暑と労働と静寂と暗闇といったものしか山中の友とするもののなかった彼のことを思うと何だか無下に彼を拒絶することができなかった。前と違って、この日は一日中冷たい川の中で騒いだせいか、二人とも酔いが回るのが早く、とりたてて話らしい話もしなかったが、前の話の続きから言えば、大王子の料亭の主人が南海道の大地震で敗戦の翌年に亡くなったことと、それと時を同じくして自身の父親が脳卒中であえなく亡くなったこととであった。彼は帰りしなに懐中電灯を貸してくれないかと言うので何気なく貸してやった。外は闇であったけれど、目と鼻の距離にある自分の家に帰るのに何も明かりが必要とも思えなかった。私は玄関の滑りの悪いガラス戸を閉め、昨日から敷きっぱなしておいた床の上に蚊帳を張っていたが、Kはかみさんに遠慮して忍び足で家に入ったらしく、いつもガタガタと鳴る戸の音は聞こえてこなかった。
 長い夏休みに入った。私は子供たちを自宅に連れていって泊まらせ、彼らの皮膚が一皮剥けるまで海にいって泳がせてやった。彼らは最初のうちは喜々として遊んでいたが、四五日もすると里心が芽生えて親元へ帰りたがった。私はまた彼らを送って行ったが、その時はKのかみさんの病気もだいぶ良くなったと見えて、玄関脇から私の顔を見てにたりとした愛想笑いを浮かべていた。その時を限りに私は部落の学校に行くこともなく自宅で一ヵ月あまりを過ごした。
 やがてつくつく法師とかなかな蝉が狭い谷間に哀しげな声調を響かせる中を部落に帰った。いつもKが炭俵を置いている物置小屋ではよく見かける部落の飼い犬が力なくよだれを垂らしながら腹ばっていた。マムシに噛まれたと見えて太く腫れあがった片足を舌で舐めつつ猛毒と戦っている様子であった。病気がまた始まったと見えて、Kの家の次第に黄ばみ始めた障子は相も変らず閉まったままであった。土産の小魚を持ってガラス戸を開けて入っていったが、中はもぬけの殻でがらんとしており、何処にも生活の匂いが伺えなかった。竃から天井に斜めに伸びた一本の煤けた煙突の間には蜘蛛が巣を作っており、水の雫がしたたり落ちている流しの上を一匹のナメクジが這っていた。奥の座敷の開け放たれた障子の向うに折からの風に揺らぐ南天の木が見通せた。隣のお婆さんが私の気配を察して姿を見せ、半月ほど前に引っ越していったことを報せてくれた。
「こんな家でも、開け放して風を入れてやらんことにはなあ。」としばらく私と一緒に室内を見渡していたが、「子供のことを考えると、今年中には引っ越さんならんとはかねがね嫁が言うとった。」と私の顔を見て言った。そういえば、初対面の時に「こんなとこではろくな教育はできん。」と言っていたかみさんの言葉が思い浮かんだ。たぶんかみさんは、かねがねこの障子の隙間から私の人格や教育者としての力量を観察していたのであろう。そして、ことあるごとに亭主を誘って酒を飲んでいる私には息子を任せられないという彼女なりの結論に達したものと思われる。勝手な想像ではあったが、これは真実からあまりかけ離れていないように思われた。このまま山棲みの生活を長く続ければ続けるほど、一人息子の将来の生活が親父のごとくになって行くことに身も切られるような焦りを感じていたに違いない。そのたびに強烈なヒステリーと躁鬱病の発作に見舞われていたのであろう。何だか身につまされる思いで外に出ると、お婆さんも随いてきて、
「嫁ははしゃいでいたが、亭主はあんまり乗り気やなかったと見えて、行ってしまうときはしょんぼりしとったなあ。」と黙っていた私に話し掛けた。
「で、何処へ行くと言うとったかのう。」と尋ねてみたが、そのことについてはK自身が言わなかったのか、お婆さんが忘れてしまったのか、
「さあ、何処へいったんやろうのう。」と不確かな返事が返ってきただけであった。私は不要になった土産をお婆さんに手渡してから、しばらくの間、空き家になった軒下に佇んでいた。いつも息子が遊んでいたパチンコ台が陽の光を反射させながらもとの位置に置かれたままになっていた。
 私は永らく閉切っておいた住宅の雨戸を開け放して、黴臭い部屋の空気を追い出した。入るときには気付かなかった玄関口の狭い上がり板の上に私がKに貸してやった懐中電灯が置かれていた。そして、さらによく見ると土間の片隅に一個の段ボール箱が置かれており、埃の被った表に「紀州備長炭」という太い印刷文字が読み取れた。開けてみると、白く粉の吹いたいかにも固そうな備長炭がぎっしりと詰め込まれていて、あの独特の酸っぱいような香が心地よく私の鼻をついた。畳みの上に仰向けに寝転んで私は去っていったKのことを思った。あの日彼は自分の家に帰らずに貸してやった懐中電灯の乏しい光の輪を頼りにしながら、二キロ程離れた山奥の炭窯に戻っていったに違いない。かみさんに「一窯も焼かんと家に入ってくるな。」と怒鳴られて寂しい路を歩いていったに違いない。ふと、私の頭に所帯道具の一切合財と女房子供を乗せて、汗を拭き拭き大八車の梶棒を引いているKの姿が浮かんだ。それは、彼が語った自身の幼い日の思い出と二重写しになって浮かんできた。炭俵を大八に乗せて本宮から新宮までの遠い道程を運んだ彼の姿によく似ていた。樫山川沿いの細くて険阻なささくれだったた道を、怪力でもって下りながら、彼はお八重さんのことを思い出していたかもしれぬが、今の彼の姿はむしろ「山猿」と多少の軽蔑をこめて呼んでいた自身の父親の姿に限りなく近いような気がしてならなかった。女房と成長した子供に邪険に扱われ、やがて自身の父親のように熊野の山並みの彼方に追い詰められていくであろう彼の身の上が浮かんでは消えたりした。
 つくつく法師の鳴き声が一日の名残を惜しむように谷間の部落に響いていた。一夏の間に延びるにまかせた葛の蔓が川岸の木々に這い上り、その向うには欝蒼と茂り立つ杉木立が眺められた。山々は威圧するように私の精神を圧迫した。私は今までKに馳せていた思いを自らに馳せていた。炭を焼いては熊野の山々を渡り歩く彼の生活も私の生活もさして違いのないものに思えた。大都会から逃れだしてきた私の現在の生活もまた文明から程遠い熊野の奥地に追い出されてきたものであった。しかし、そのことは心の中では蟠ってはいなかった。不確かで迷いに満ちた魂の群れが私の頭の中で叫喚しているだけであった。ちょうど死霊たちが根の国の深々と、延々と連なる山々の彼方をさ迷っていく想いに似ていた。
 炭小屋からいつのまに這い出したのか、例の犬が四肢をよろつかせて踏張り、一声長く尾を引いて吠えた。部落の谷間は暮色のなかに消え入ろうとしていた。

(おわり)



 この作品に於ける固有名詞は、事実に即しているが、登場する人物および内容はあ くまでフィクションであることを改めてお断わりしておく。
               寺嶋経人(1991年6月)




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