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第一巻 13
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人倫訓蒙圖彙所載

さいもん


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【祭文語り】山伏などがほら貝や錫杖などを鳴らして祭文を語り,門付して歩いたもの(貝祭文・でろれん祭文)。江戸初期には三味線を伴奏に流行歌謡や浄瑠璃を取り入れた人情物(歌祭文)を語る芸人と化した。浪曲の源流ともいわれる。さいもんよみ。 (大辞林

原画は『人倫訓蒙図彙』巻七にある、(これ)。そこにある解説。
此山伏の所作、祭文とていふを聞ば、神道かと思へば仏道、とかく其本拠ほんこさだかならず。伊勢両宮の末社に四十末社、百二十末社などといふ事、更になき事にて、此事、神道問答抄といふものに記せり、おおく誤有ども、しらぬが浮世也。それさへ有を、江戸祭文といふは、白ごゑにして、力身りきみを第一として、歌浄瑠璃のせずといふ事なし。かかる事を、錫杖にのせるは、さてもかなしゝ、勿体なし。(以下略
「白声」(しらごえ、しらこえ)は、もともとは平家語りで節を付けず朗読するようなところを言うが、祭文・浪花節・浄瑠璃などの語り物で用いられる一種のしわがれ声。日本芸能の発声法のひとつ(大辞泉)。
「力みを第一とする白声」という説明から、浪曲などを思い浮かべる。
森銑三『明治東京逸聞史』の明治21年に、「浪花節はまだはやらず、でろれん祭文などというものが、まだ行われていた」と書いている。

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