画像をクリックすると、拡大する。

第一巻 57
前へ : 目次 : 次へ


悪魔拂

をくる /\


◆-◆

送るは、送るは」という咒言をはやしながら、踊っている。「疫病送り」などにみられるような民俗風習とおなじものであろう。

ウィキペディア「悪魔払い」はとてもすぐれた解説になっている。その一部を引いておく。
「祓い」は古くは神道の祭祀であったが、大陸から渡ってきた宗教や陰陽五行説をもとに陰陽道が構築され、陰陽寮が発足してから、祓いの役割は陰陽師に移ったとされる。以来、明治時代に入り、再び「祓い」の祭祀が神道に戻されるまでの間に、仏教、儒教、民間信仰を吸収・習合しながら、様様な悪魔払いの儀式・行事・呪い(まじない)として民間にも広がり浸透していった。

民俗学者の坪井洋文は、悪魔は民間信仰の次元で考えられることが多いとしながら、色々な信仰習合の歴史を経ても、日本における悪魔払いの根底には、日本固有の「祓い」の観念が潜在しているとする。「悪魔を払う方法も、民間信仰的なさまざまの形をとっているが、密教の調伏咒文、修験道の加持祈祷の類が典型的といえよう」「民間行事としての疫神送りや人形送りも、広義には悪魔払の一種であり、獅子舞などの民間芸能のなかにもその信仰上の名残りを見出すことができる」と説いている。


これには原画があり、古閑『人物草画』の悪魔払

◆-◆

前へ : 目次 : 次へ
inserted by FC2 system