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第二巻 02
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とそ申けり

此乞喰は安永の頃
最も有名なりしといふ

 とそ申
  浄瑠理は
    何花に鐘

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(二代目)瀬川如皐『只今御笑草』(ただいまのおわらいぐさ)(『日本随筆大成2期20』に所収)の冒頭に「とぞ申しける」として出ている。その一部を引く。
宝永正徳の比にやありけん、前髪かづらの紙にてはりぬきたるをかむり、麻の古き肩衣、かちんに子持ち筋染めたるを引きかけ、尻からげいと高く七の髄まであらはにかいはせおりて、破り三味線弾がたりにせるおのこ、その頃の土佐ぶし外記節げきぶしにもやありけん、声おかしく語りて、はてには「とぞ申しける」といへるを曲にて、門々にもの乞ひけるよし、
「肩衣 かたぎぬ」は、一種の袖なし、「かちん」は墨で染めること、「子持ち筋」は筋染めの一種で大小2つの縞を基本としたもの。「外記節」は江戸期の浄瑠璃の一派で薩摩外記にはじまる。

安永(1772~1780)は江戸中期。宝永(1709~11)・正徳(1711~15)は安永より60年ほど古い。晴風、如皐いずれかの思い違いなのか、それとも委細があるのか不明。

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