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第二巻 12
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  川魚踏

此川魚踏 神田川立川
本所深川等枝川の引汐の
時二三人々別になりて
腰のあたりまで水中に
竹にて作たる漁器にて
うなき とせうの類を
踏者也 又腰に結付
水に浮せたる船形せし
て漁せし魚を貯へ
入置器なり


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脚で小魚を追い出す漁法を「踏む」と称したようだ。保津川には「ゴリ踏み」という漁がある。愛知県の海部津島には「どじょう踏み」という漁法があった。
水路の下手にどじょう籠と呼ばれる竹で編んだ籠を置き、素足で泥を丹念に踏みながらドジョウを追い込んで捕る漁法。同時にハエやモロコも多く入りました。 これはかなりの高確率でどじょうが捕れたようで、一度どじょう踏みをやった水路はしばらくの間魚がほとんどいないような状況でした。この漁法も水路の コンクリ―ト張りで姿を消しました。主に佐織や八開で行われていたようです。海部津島(川漁編)の「どじょう踏み」

わたしは少年時代を山陰の山村で過ごし、「どじょう踏み」を日常的にしていたことになるが、「踏む」という語はなかった。「竹にて作たる漁器」は図と同様のもので、「ミ-ィ ダモ」(箕たも)と呼んでいた。助手役の者が取っ手を押さえて数メートル下流で待ち構えている。それに向けて水草の間などを「踏んで」魚を追い出しながら近づくのである。踏み役と持ち役はときどき交代する。農薬を使わない時代で、どじょう汁をよく食べていた。

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