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第二巻 47
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  こみとり

江戸のこみ掃除はこみ掃除業の
株にて各町の差配人に特約し市中のごみ
を掃除するものとぞ又此ごみは下総の
国登戸けみ川馬加辺より五大力といふ
船江戸へ薪其他の物を積
来り其帰船にこみを積
載するを業とす此芥
海岸に積置て後にさつま
芋の肥料に利用すといふ

  ちり塚の
   塵には染まづ
     きり/\す


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【五大力船(ごだいりきせん、ごだいりきぶね)】
江戸を中心に関東近辺の水運に用いられた海川両用の廻船の事。五大力の語源は五大力菩薩からという説が有力である。昭和初期まで用いられてきた(ウィキペディア)。「大八車」などと似た語感か。

南北朝時代に馬加郷(まくわりごう)の地名が存在していたそうだ。江戸時代に後の幕張の一部をなす「馬加村」が存在した(ウィキペディア幕張町)。
したがって、地名は登戸、検見川、馬加(幕張)となる。この登戸は千葉市中央区の登戸であろう。

この芥集めのオッサンには、色々と勉強させられた。

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