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第二巻 48
「赤ぼうふら」はユスリカの幼虫で、成虫となっても吸血はしない。 「孑孑 ぼうふら」を金魚の餌として売るために取っていた「孑孑取」という仕事。「終わり蚊いなき」は「終り甲斐無き」にかけた。 E・S モース『日本その日その日』第25章「東京に関する覚書」に、ボウフラ取りが出ている。 東京市中のあちらこちらの町には、殊に屋敷の塀に沿って、ドブや深い溝がある。これらの場所はこの都会を悩ます蚊の発生地で、同時に蚊の幼虫を網でしゃくい、それを金魚の餌に売る大人や子供にとっては、生計のもとである。(東洋文庫 下巻p158)モースは日本での生活で蚊や蚤に悩まされた体験なども記録しており、蚊帳を「四角い箱の形をした、恐ろしく大きな緑色の蚊帳が部屋の四隅からつられた。その大きさたるや我々がその内に立つことが出来る位で」と記している(同書 第2章「日光への旅」上巻p51)。 ついでに、本所深川の蚊がひどかったこと、 昨今の暖気に連れ、本所深川の名物なる蚊は、霊岸町辺は一昨夜頃より既にブン/\と飛廻るに至れり、如何に蚊の名所なりとは云へ、斯く蚊の出の早きは近年に稀なりと。 (東京日日新聞 明治29年(1896)4月12日) |