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第三巻 24
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稗蒔賣


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「□蒔賣」は「稗蒔賣 ひえまきうり」と考えた。JISに無い字。『あづまの手ぶり』に原画があるが、それも不明字を用いている。ただし、「桜草賣」と分離できないので、両者ともに示しているこれ

菊池貴一郎『絵本風俗往来』上編巻四には「稗蒔売」がある。
水鉢の内に稗を蒔付け、水をたくはへ、橋を渡し、稗の中には艸屋・鶴・農人形・制札・垣根・案山子などを飾付けて、あたかも田舎の田甫たんぼの景を作り、「ひえま ひえま き」と呼びて賣りあるくなり。
これで様子がよくわかる。

菊池貴一郎(嘉永二年1849~大正14年1925)は晴風より3歳年上。菊池家には初代広重が絵師となる前から出入りしており、貴一郎は二代広重に絵を学んだことがあったという。三代広重が没した(明治27年)後、広重の画系は途切れた。三代の未亡人が晴風と計って、菊池貴一郎に四代広重の名を継がせたという。菊池貴一郎と清水晴風には浅からぬ因縁があったのである(ウイキペディア、及び藤懸静也『浮世絵』p270)。

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