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第三巻 31
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太鼓賣

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『温故年中行事』に原画がある、(ここ)。

「太鼓売は二月初午祭をめざして、正月二五,六日頃から来る。太鼓を叩くが呼び声はない。『だんまりで悪やかましい太鼓売り』(柳77)」(興津要『江戸小咄商売往来(上)』より

晴風『街の姿』に「初午の太鼓売」があるが、その中に
此当時は、革を商う者は穢多と称して、普通の人と交際することならず。又普通の商人にて革類を商う者は、特別のことありといふ
と説明がある。

革を扱うものは、古くから斃馬牛の処理を一手に引き受けていた「長吏」(関西では「かわた」)に限られていた。彼らは賎民であると同時に武家と特別な関係にある特権を認められていた。刑場の執行人でもあった。江戸時代に賎民を統括した弾左衛門は「長吏」であり、幕府は「穢多」と呼んでいた。弾左衛門の統括下にあるもので「長吏(穢多、かわた)」以外の者に「非人」と「猿飼」と「乞胸」がある。

巻六-13「太鼓賣」にも,弾左衛門のことを書いた。

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