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第三巻 58
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雪駄直し


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崋山「一掃百態」に原画がある。これ

雪駄直し」が本巻09にあった。「でい、でい」と呼ぶと。

雪駄は,竹皮で編んだぞうりの裏に牛革を貼る。千利休が始めたものという(たとえば『和漢三才図会』巻30、「雪踏」)。斃牛馬を扱う長吏のもとに革が集まるので、その配下の非人らが製作し、「雪駄直し」にも出た。
長吏が皮革製品の製造販売を生業としたのは、もちろん中世以来斃牛馬の処理を担ってきたことと関係する。江戸の町では、たとえば将軍や御三家・御三卿の乗馬が倒れた時も、その埋葬を弾左衛門に任せることが定められていた。こうした馬は埋葬されるのみで皮革を利用されることはなかったが、諸大名や旗本の乗馬、伝馬、民間の商用馬などはそれぞれ決まった「捨て場」があり、弾左衛門は配下の非人たちにそこで解体処理をさせた。皮は(浅草の)新町に集められ革へとなめされたのである。浦本誉至史『江戸・東京の被差別部落の歴史』p82
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