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第三巻 79
明治25年の中央新聞に次のような記事がある。 角兵衛獅子は世人の知る如く、府下にては小石川区柳町を巣窟とし、親方と称する者は二三名あり、其獅子児を仕込むには、貧家の子弟四五歳の頃四五円位にて買取り、その骨格を柔軟ならしむる為め、酢を沸騰し之れに指ケ谷町と柳町が隣接することは「東京府管轄測量全圖」(明治22年、日文研サイトで公開)などで確かめられる。 晴風『街の姿』の「角兵衛獅子」に同じ句が引かれ、「迂生の狂歌」と言っているので、晴風の自作である。 この原画は「広重人物画稿」のこれ。 |