画像をクリックすると、拡大する。

第四巻 32
 【前へ : 目次 : 次へ

引はり

引張は明治の淫賣婦の如く夜間に至れば
辻々に彳 往来人□に
淫を進めるもの也

◆-◆

「彳ミ」は佇み(たたずみ)。「引張る ひきはる」は、むりに連れて行く、引き立てる、などで「枕草子」にある(日本国語大辞典)。不明字は「ごと」か、「往来人ごとに」。

いつの世も変わらず、強引な客引きはあったのですね。明治8年の東京曙新聞に「引っぱり」が具体的に出ていた。
地獄と称する淫売女は、たとへ三畳敷の狭い家にもしろ、場所が極まって居るから狩るにもかりよいかしれんが、海士(あま)の子なれば家も定めずとかいふ古歌のやうに、石の上でも木の下でも、何所(どこ)でもやらかす引っぱりといふ商売人は、場所が極まってゐないから、狩るにも少しかりにくいものならんか。
然るに去る四日の午後八時頃、有吉さんといふ御廻りが、浅草材木町の河岸端(かしばた)を御廻りなさる時、大八車の物陰に、何かうごめく人影が見えるを、何者ならんと立寄られしに、彼引っぱりが商売の真最中故、取押へて分庁へ送られました。此引っぱり女は松戸宿升屋喜三郎といふものゝ娘だと申します。真最中に見付けられては、買った御客が淋病にでもならなければよいがと、ちと気の毒に存ぜられます。
東京曙新聞明治8年6月7日
文字遣いは原文のまま(但し当用漢字使用)。送り仮名などを含めて、読みやすい。だが、最後に「淋病」が出てくるのはちょっと唐突。泣き面に蜂を言いたかったのだろうが、当時は淋病が心配の種だったのですね。

鹿島萬兵衛『江戸の夕栄』第四章(大正11年)にも「引っぱり」がでているので、引いておいた。江戸の夕栄

◆-◆
 【前へ : 目次 : 次へ
inserted by FC2 system