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第五巻 39
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淡島さま


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江戸時代、淡島明神・淡島さんを祭った神棚を持ち、その由来を語りながら門付けをした行者を淡島願人といった(粟島とも)。婦人病のために代参してくれるとして、全国を回った。婦人病治癒をはじめ、子授け・安産、裁縫、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされ、女性の信仰が大いに集まった。和歌山市加太の淡島神社が本山であるが、全国に約1000社余りの淡島神社系の神社があるという。

『人倫訓蒙図彙』巻7に「粟嶋殿」として出ている(ここ )。

和歌山市加太の淡島神社は由緒ある神社で、延喜式神名帳に記載されている。祭神は、少彦名命、大己貴おおなむち命、息長足姫おきながたらしひめ尊の三柱としている。息長足姫尊は神宮皇后であるからもちろん女神で安産の神などともされている。しかし、どうやら淡島さまが婦人病の神として大いに人気が出てきたのは、江戸時代後期からのことで、『人倫訓蒙図彙』(著者不詳、元禄三年1690)や寺島良安『和漢三才図会』(正徳二年1712)など、江戸中期以前の知識人たちは、このような新たな信仰に憤慨していたようである。

石沢誠司「淡島信仰と流し雛」は、「流し雛は雛人形の源流でなく、淡島信仰を源流として江戸後期以降に発生した習俗である」ことを論証したもの。しかし、淡島信仰についても詳しい。殊に淡島願人が明治時代以降昭和時代まで実在していたことを示す資料が、中国地方から東北地方まで集めてあるのは興味深い。

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