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第六巻 11
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菓子賣
  明治廿二三年の頃

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大きなサイコロを頭に載せているが、この中にお菓子を入れているのだろうか。説明がなく不詳。ともかく、売る人が個々に売り方を工夫していたらしいことが分かる。現代の商業ベースの宣伝とは違う。

現在はサイコロの目の配置は世界共通で、表裏の目の和が7になるようにする(それにも配置全体をみると2種あり、雄・雌の区別をする)。この菓子売りのサイコロは3,4が隣接しているのでおかしい。サイコロを素人細工で作ったか、晴風のミスということもありうるか。
ただし、古代エジプトやインダス文明のサイコロには現在の立方体の標準型ではないものがあった。増川宏一『さいころ』(法政大学出版会1992)には、「一の裏が二、三の裏が四、五の裏が六」というインダス文明(BC1500)のサイコロの写真が出ている(同書p79)。
古代エジプトでは投げ棒型のさいころよりはるかに多い数の立方体のさいころが多数出土している。(中略)遅くとも紀元前2000年期には多数使用されていたと断言できる。たぶん、この頃には既に六面体のさいころが一般化していたのであろう。(中略)古代エジプトのさいころの中には、目の配置の不規則なものもあり、アッシリアのさいころの中にも一の裏が四になっているのが見られる。同書 p78~79
鹿の角から立方体サイコロを摺り出す職人の絵を紹介しておく、さいすり

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