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第六巻 20
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薬賣
此薬賣 明治三十四五年頃り盛に来る

生盛薬館の製剤は
日本に無比なる家傳にて
其剤効能著し
宝玉丹なる効能に
たん咳食傷ものあたり
頭痛に霍乱吐瀉――
一二いち に 失敬

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「頃より」の「よ」が抜けている。

「食傷」は、同じ食べ物で食べ飽きること。ここでは、食欲不振や食あたりの意味で使っている。「ものあたり」も似た意味だが、より広く水あたりなども含めて腹痛全般を述べたのだろう。

「生盛薬館」の薬売りは“オイチニの薬屋さん”で有名。軍人の礼服のような服装で、オイチニと歩調をとって宣伝文句の唄を唱い、歩いた。子どもに人気があった。
左の黒い洋服姿は“オイチニの薬屋さん”にピッタリだが、右の和装も「生盛薬館」の薬売だとしておく。提げている鞄が同じだから。

森銑三『明治東京逸聞史』の明治三十四年条に坂本四方太「椎の影」(「ホトトギス」三十五年六月号)を引いて、「生々薬館」を書いている。
女の子が「生々薬館のはげあたまア、生々薬館のはげあたまア」と、薬売の軍歌みたいなものを歌っている、と見えている。
軍服を着けた生々薬館の薬売が、手風琴を鳴らして、街々をを歌って歩いた。田舎まで来るようになったのは、日露戦役後だったように思うが、東京では今年からもう始められていたことが分かる。「薬館」から「薬鑵やかん」が聯想せられるところから、「禿げ頭」と続けている。
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