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第六巻 24
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花かるた入
煙艸行商

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「諸国名葉」と看板にあり、きざみ煙草が主で紙巻煙草は従だった。景品に「花かるた」をつけた。

煙草税は国家にとって重要な税収であり、何とかして税収を上げようとした。「葉煙草専売法」(明治31年1898)は、煙草農家から葉煙草を政府が一手に買付て製造業者に卸すというもの。その時点で税収全体の11%を占めていたという。日露戦争の戦費をまかなうこと、外国煙草の侵入を防衛する等の名目で「煙草専売法」(明治37年1904)が成立。葉煙草の生産・煙草製造・販売のすべてを国が行うというものである。これが形は変えながら、ずっと続いている。

江戸時代から明治にかけて、刻み煙草をキセルで吸うのが普通であった。紙巻煙草について、岩谷いわや商会(東京)と村井兄弟商会(京都)の猛烈な宣伝合戦があった。岩谷松平は銀座の岩谷商店の店を赤色で統一し、自身も真っ赤な服装を着ていた。その煙草は国産の葉を使い「天狗たばこ」の名で知られた。村井兄弟商会は外国産の葉を用い、英語名を名付けてハイカラを売りものにした。
煙草が完全に専売となる明治37年以前は、それ以降の時代には考えられないような活発で自由な煙草販売が行われた。
明治30年代には、約5000人のたばこ製造業者がいましたが、その大半は、刻みたばこを製造していました。明治民営期のたばこ産業」JT博物館のサイト)
この「たばこと塩の博物館」は、サイトも博物館もなかなか面白いです。

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