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第六巻 46
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千金丹賣

明治十四年頃諸國より國会開設の願望者續々
出京す其時此千金丹賣三ゝ五ゝ東京市中を
賣弘む故に此千金丹賣 國会願望の壮士なりと
言傳す其為にや暫時にして流行の一となりぬ是信山の
幸福といわん

ヱ・・・本家 大阪
安土町信山家傳の
千金丹其又薬の
効能 頭痛と目まい
立ぐらみ しふり腹
下りはら云々と大聲に
呼ながら市街を行
商す

  幸ひの世に
  大坂の薬賣 千金丹と出る信山

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「千金丹と出る」は「千金が、たんと出る」と掛けている。

明治13年(1880)には東京に千金丹売りが多数出ていて、個性的な売り方をしていたという新聞記事がある。
先頃より府下へ進入せし千金丹売は、漸次に増加して、目下千人余に及ぶよし、此頃或る貴き御方が途中にて売子をよびとめ代価を問はれしに、一帖一円五十銭なりと答へければ不審に思はれ、先程人力車夫らしき者に売りし代価と、我等に言ふところと余りなる相違ならずやと質問さるゝと、求めらるゝ相手により一円五十銭はおろか、十円も二十円も乞受け申すべく、又た貧民へは無価にても施すべしと答へしよし、何にいたせ気味のわろき売薬屋なり。 東京曙新聞 明治13年7月30日
「千金丹」は大阪安土町信山のぶやま家伝だった。山本笑月『明治世相百話』(昭和11年1936初版。青空文庫にあり)が、面白く書いている。
千金丹と書いた白金巾かなきんの洋傘と角形の手提カバン、身装は書生の白シャツ白股引、縮の単衣の尻っぱしょりで二人連れ、往来の右と左を流しながら、「本家は大坂安土町」「のぶ山家伝の千金丹」「そのまた薬の効能は」「たんせき溜飲食あたり」と面白くもない文句のかけあい、それが妙にぴたりときて我々もよく真似たくらい、一時は大流行。そのうち類似の競争者が現われ、二十年頃いつか退散。 「物売り姿のいろいろ」より
同じ「千金丹」であるが「肥前田代売薬の千金丹」は江戸時代から、「讃岐の岡内千金丹」は明治8年1875創業といっている。岡内千金丹のサイト(ここ)には写真がおいてあり、千金丹と書いた蝙蝠傘を差している。

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