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第六巻 47
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チヨイ 買ひなよ
どれでも寄りとり
天保と弐十だよ
買ひなよ/\

此商人諸方の縁日に
露店を開き何くれと
なく日用の品又玩弄品
を並べ一品壱銭ッゝにて
商ふ者なり

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大隈重信の主導で「新貨条例」が布告されたのが明治四年(1872)五月十日。これで【円(圓)、銭、厘】の制度がスタートした(1円=100銭=1000厘、1円=約1両=約1$)。天保通宝は8厘とされたが、明治29年一杯で廃止となった。
「天保と弐十だよ」というのは天保通宝+20厘=28厘=2銭8厘の意味。1品1銭とは合わないが、下の引用に出ているように2銭8厘という店もあったようだ。

この露店と同じような縁日の店を『東京風俗志』が紹介している。今の百円均一の店のような営業方式だったらしい。
縁日の夕など街頭に席を舗き、玩具、鏡、剃刀箱、箸箱、銅盥などなにくれとなく値に準じて類を分かち、何れも一品一銭、二銭八厘、あるは三銭五厘など値を限りて賣る。賣声高く、調子さえいと異様に、「買ひなよ、買ひなよ、何でも買ひなよ、ちょいちょい買ひなよ」平出鏗二郎『東京風俗志』上巻p48
買わなくてもいいものをつい買ってしまうのも、今の百均と同じだ。

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