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第六巻 50
「豊年おこし賣」(巻六-60)は明治15、6年ごろ大流行した。盤台を頭に載せて売り回った初めという。 それから4,5年後に団扇太鼓を持って「よか/\おこし賣」が現れたのを、浄土宗の法然(豊年)が「法華の太鼓」に改宗したと言ったもの。 「ものららん」は勿論「ものならん」の誤記。 『明治東京逸聞史』の明治22年条に「よかよか飴」が出ている。「よかよかおこし」ではないのだが、頭にタライを載せて売り歩くのは同じであったらしい。 いただきて売りゆく菓子もあめが下なお、川崎千虎[ちとら]は江戸末期から明治にかけての浮世絵師・日本画家、東京美術学校教授にもなっている。 |