画像をクリックすると、拡大する。

第六巻 52
 【前へ : 目次 : 次へ

もち網や賣

  もち網や/\

◆-◆

題は「もち網賣」の誤記。

餅を入れて、吊しておく網。今「餅網」というと、餅を焼く金網を考えてしまうが、『大辞泉』には、「1 餅をのせて焼く金網。2 餅を入れてつるしておく網」の二つの解が出ている。

もち網に入れて吊しておくと、かき餅とか凍餅という保存食品となる。
少しずつお茶請けに使用。6月1日の富士山山開き(=凍溶し こおりとかし)まで持たせた。光田憲雄『江戸の大道芸人』p196
正月に餅網売が来るものであるが、明治14年(1881)の正月はあまりの「物価騰貴」で餅網も売れなかった、と。
毎年一月の十一日より、もちあみや/\と売歩くものゝ多かりしに、去年の暮には例の物価騰貴にて、千門万戸いづれも財政困難ならざるはなく、餅を搗く石高も酒造の石高とゝもに減少せしものと見え、餅を入れて吊るための網などは、唯くれても貰人モラヒテのなきほどなれば、一日呼び歩いても一つも売れず。依て皆な方向を転じて近在へ出掛たりと云ふ。 東京日日新聞 明治14年1月24日
「近在へ出掛たり」とは、都会では余裕がなくても、田舎では餅を搗く家があろうと考えて、そちら方面へ出掛けたということ。

◆-◆
 【前へ : 目次 : 次へ
inserted by FC2 system