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第六巻 53
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ヤツケロぶし賣の壮士
    明治廿五年の春頃より始る

壮士の輩三々五々に組
ヤツケロ節と称す壮决なる
勺字にて綴りし本を高
聲に吟し市府を
横行す若し警史の
是を判すれば警官
と義論をす実に手の
付られぬ輩なり然とも
彼等の活發なる言語挙
動を决とする者此本を請
求す

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「决」は「快」に同じ、「勺字」は「細字」の意、「警史」は[警吏]。「然とも」は「然れども」。

土取利行の「ヤッツケロ節」がYouTubeにある(ここ)。

明治25年1892の読売新聞に「ヤッツケロ節の取締」という記事がある。警察がかなり本腰を入れて壮士連を押さえつけようとしていたことが、察せられる。
近頃ヤッツケロ節と云ふを唄ひあるく壮士体の者処々を徘徊するを以て、警視総監は厳重に取締るべき旨訓令せしが、途上に溜まり人寄せを為す者は街路取締規則第十五条の明文「途上に於て軍談講釈をなし、其他人寄をなすべからず」といふに依りて罰し、また右の歌を唄ふは,途上にて新聞冊子等を読売り為す者の条項に依り厳重に処分する事となりしかば、昨今各警察署に引致の上拘留及び罰金に處せらるゝ輩毎日あるを以て,全くヤッツケロ節の跡を絶つに至るは両三日中にあるべしと。 讀賣新聞 明治25年3月11日 強調と下線は引用者
晴風の「明治廿五年の春頃より始る」と正確に符合している。

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