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第六巻 68
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もし/\あなたは
となた此電話
新發明てまいくら
長くても聞へます ヘイ
左様なら

世渡りも唯一筋や
蔓糸瓜

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「新發明てまいくら長くても」は誤記があるか。「新発明で、いくら長くても」など。旗の文字は「新発明 手遊 電話」

森銑三『明治東京逸聞史』の明治35年条に、読売新聞からの抜き書き「電話の加入者」がある。
明治23年12月に、東京で初めて電話局を開いた時、加入したのは150余人に過ぎなかった。ところが年々加入者を増して、28年には1700余人に上った。昨今はそれが9500人内外に上って、最早1万人に達するのも間のないこととなっている。
電話代は10銭だった。「自動電話」(公衆電話)がところどころに設けられていたが、それは15銭で高すぎるとして、「一向に利用せられなかった」と同じく明治35年条に書いている。

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