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第八巻 48
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石版畫賣

此石版畫 最も有名なる
故諸大家應挙崋山
文晁探幽抱一岸駒
大雅堂容齋是真等
の畫を石板 印刷せし
を露店にて商ふもの也

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有名画家というので簡単にわかるつもりでいたが、江戸時代の画家を探し廻ったりした。
「岸駒 がんく」が最後まで不明で残った。わたしはこの画家(岸派の祖)をまったく知らなかった。

右の図版は、京都の山添天香堂のサイトにある岸駒の「猛虎図」の落款を拝借しました。晴風の「岸駒」と見比べてみて下さい。
ウィキペディア「岸駒」はかなり委しく経歴を述べてくれているが、生年からして寛延二年(1749)と宝暦六年(1756)の2説があるのだそうだ。出身地も富山県高岡市と石川県金沢市の2説ある。難しい人なのである。
母を連れ京に出て、中国画や洋風画を学び、円山応挙の丸山派にも学んだという。いずれにせよ苦学したらしい。天明二年(1782年)頃までには画家として名が知られるようになっていた。写実的で精緻な画風である。
有栖川宮家に入ることに成功し、同家の学問所の障壁画を描いている。金沢城二の丸御殿の障壁画や、東寺の食堂の天井画を描いたことで知られている。天保九年(1838)に没した(90歳ないし83歳の長命)。


東京国立博物館サイトの岸駒「浪に虎図屏風」

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