画像をクリックすると、拡大する。

第八巻 47
 【 前へ : 目次 : 次へ

丸々やき

此丸々焼 諸方に有りと雖も
明神下に出店して年中
丸々焼専業なる 喜樂堂を
以て名あるものとす


◆-◆

神田明神の東側が急坂で落ち込んでおり、今も石段となっている。その一帯を「明神下」とよんでいた。
看板は「喜樂堂」

このような、メリケン粉を焼きあんこを入れる「××焼」なるものは、この第八卷に多かった。明治30年代に出てきたと晴風は幾度か記していた。ここにまとめておく。
くるみ焼(五-46)、面形焼(八-09)、人形焼(八-21)、オランダ焼(八-24)、軍艦焼(八-25)、「紅梅焼」(八-81)。
他に、名前だけがあがっていたのは、小松焼、桃太郎焼、肖像焼。すこし違うが巻五-13「文字焼」というものもあった。

◆-◆
 【 前へ : 目次 : 次へ
inserted by FC2 system