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第八巻 47
神田明神の東側が急坂で落ち込んでおり、今も石段となっている。その一帯を「明神下」とよんでいた。 看板は「喜樂堂」 このような、メリケン粉を焼きあんこを入れる「××焼」なるものは、この第八卷に多かった。明治30年代に出てきたと晴風は幾度か記していた。ここにまとめておく。 くるみ焼(五-46)、面形焼(八-09)、人形焼(八-21)、オランダ焼(八-24)、軍艦焼(八-25)、「紅梅焼」(八-81)。 他に、名前だけがあがっていたのは、小松焼、桃太郎焼、肖像焼。すこし違うが巻五-13「文字焼」というものもあった。 |