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第五巻 46
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くるみやき

くるみやき うとんの粉
ときて中へあんを入て
くるみの如き形ちに焼を
以て其名とす天明頃の世
種々何々焼と稱するもの
数多出来たるも此くるみ
絶へたり

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喜田川季荘『近世風俗誌』(原名 守貞漫稿)第四篇には「紅梅焼」が取りあげられていて、
弘化・嘉永の頃(1844~53)より江戸小市にてこれを売る。その前もこれ有るか、いまだこれを知らず。
紅梅焼は小麦粉に砂糖を和し、扁平にして梅形あるいは桜形に押し抜き平鉄鍋上にて焼きたる一種の麁菓子なり。
としている(引用は読み易くした)。晴風は何か拠があったのか、天明(1781~89)頃に何々焼が多くあったとする。

この巻五-13に「文字焼」があった。
『世渡風俗図会』では何々焼は第八卷に多く取り上げられている。 面形焼(八-09)、人形焼(八-21)、軍艦焼(八-25)、紅梅焼(八-81)。名称だけなら小松焼、桃太郎焼が軍艦焼の所に出ている。

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