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第八巻 57
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  焼鳥や

此焼鳥 諸方の鶏肉店と
特約鶏しやも家鴨等骨
膓胃袋を取集め来りし
叩き膓 ゆかき其他
を調理して夜に至れ
露店にてこれを焼
醤油のしたちを付て壱串
五厘ツゝにて賣此焼鳥
安直の割合より美味なれ
至然に好む者多く毎夜
仕込をあまさぬ繁昌なりといふ

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明治時代から焼鳥屋に人気のあったことを証言している。年代の記載がないのが惜しい。
「かしわ」「しゃも」は江戸後期からよく食べられていた。鍬形蕙斎「職人尽絵詞」の「四文屋」を巻五-11「手遊賣」で紹介したが、その立ち飲み屋で鳥や魚は売られていただろう。

『近世風俗志』(守貞漫稿)の「食類」の最後には「獣肉」があり、公には禁じられていたが鹿肉などの店が大阪にも江戸にもあったとしている。
江戸について
江戸は麹町に獣店けものだなと云て一戸あるのみなりしが、近年諸所之を賣。横浜開港前より、所々豚を畜ひ、開港後彌々いよいよ多く、又獣肉店、民戸にて之を賣こと専ら也。開港後は鳥鍋・豚鍋と記し招牌しょうはい看板)を出し鍋焼に煮て賣る店も所々に出たり。「近世風俗志」第28編
天皇が肉食をはじめたと報じられたのは明治五年(1872)一月。
中世以来の肉食禁止は)謂れ無き儀と思召し、自今肉食を遊ばさるゝ旨、宮内にて御定め之ありたり。 新聞雑誌26 同年1月号
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