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第八巻 57
明治時代から焼鳥屋に人気のあったことを証言している。年代の記載がないのが惜しい。 「かしわ」「しゃも」は江戸後期からよく食べられていた。鍬形蕙斎「職人尽絵詞」の「四文屋」を巻五-11「手遊賣」で紹介したが、その立ち飲み屋で鳥や魚は売られていただろう。 『近世風俗志』(守貞漫稿)の「食類」の最後には「獣肉」があり、公には禁じられていたが鹿肉などの店が大阪にも江戸にもあったとしている。 江戸について 江戸は麹町に天皇が肉食をはじめたと報じられたのは明治五年(1872)一月。 (中世以来の肉食禁止は)謂れ無き儀と思召し、自今肉食を遊ばさるゝ旨、宮内にて御定め之ありたり。 (新聞雑誌26 同年1月号) |