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第一巻 06
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千年飴賣七兵衛
中村吉兵衛似顔版行丹繪


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柳亭種彦の考証書『還魂紙料 かんごんしりょう』に次のようにある。
元禄宝永のころ、江戸浅草に七兵衛といふ飴売あり。その飴の名を千年飴、また寿命糖ともいふ。今俗に長袋といふ飴に千歳飴(せんざいあめ)と書くこと、かの七兵衛に起れりサイト「江戸食文化紀行」による
千歳飴(ちとせあめ)のルーツ。

なお、「江戸食文化紀行」は歌舞伎座が作っているサイトで、専門家の筆によるもののようだ。VOL.1“芝居と食べ物”であったが、VOL.2“江戸の美味探訪”となり、なんと現在280余のバックナンバーが揃っている。

江戸中期の人気の歌舞伎役者・中村吉兵衛の似顔で千年飴を売る様子を「丹絵 たんえ」として版行されたものを写した、という意味。
「丹絵」は浮世絵用語で臙脂繪賣で説明した「べに絵」と同じと考えてよい。墨摺絵 (すみずりえ) に丹 (紅殻) を主色として緑,黄,藍などの簡単な色を加え,筆彩色した一枚絵の浮世絵。延宝~天和頃から貞享,元禄,宝永,正徳頃に流行。(ブリタニカ百科事典より

この辺りは晴風による乱丁があった。その事情は「天王寺の庚申堂」を参照。

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