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第四巻 10
【筋違御門 すじかいごもん】 下谷から須田町へ入る神田川の筋違橋の所に高札場を設けた。それを筋違御門という。城内側に広場が設けられ「八ツ小路の辻」と言った。そこへサザエの壺焼が出たというのであろう。「清水晴風略伝」の最初に置いた地図に、筋違御門も出ている。 ここは日本橋側から上野方面へ行く交通の要衝であった。明治維新後もそのことは変わらず、明治中期まで万世橋(眼鏡橋)が掛かっていた。 【采女が原 うねめがはら】 銀座5丁目付近にあった原。伊予国今治藩主松平采女正定基の屋敷跡。「Google Earthで街並散歩(江戸編)」の「采女が原、万年橋」が詳しい。 |