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第五巻 32
「手術」は「てわざ」。第三巻67「放下師」が似たようなジャッグリングだった。 【東芥子之助 あずま けしのすけ】明和-安永(1764-81)ごろの人。江戸浅草で、豆と徳利をつかった芸で好評を博した(デジタル日本人名大辞典)。 『飛鳥川』に出ている。 その頃、芥子の助といふ しな玉遣ひは、是も噺し面白し、豆と徳利と石とを手玉にとる事妙なり。『飛鳥川』、『続飛鳥川』は「享保から文化ごろ」(1716~1830)の江戸中・後期の風俗を主として記したもので、よく引用される。作者不詳で「文化七年 八十九歳老父」と自署する。国会図書館がデジタル公開している『新燕石十種第一』に収められているので、容易に参照できる(ただし、「同名の書世に多し」と『新燕石十種』の緒言にあり、注意が必要)。 |