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第六巻 03
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手遊風船賣

此風船の手遊 明治廿三年十一月
上野公園にてスヘンサといふ外國
人が軽氣球乗の飛行を興行
せしより後廿四年の春花見頃
最も流行す今に上野浅草
公園等にて此紙風船の手遊ひ
を賣る春季に 数多あり

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明治23年(1890)11月24日に上野公園で行われた、P.スペンサーが軽気球に乗り落下傘で降下するという「興行」は大成功に終わった。ブログ「見世物興行年表」に「スペンサーの軽気球」として詳細な情報が掲げられている。

この日のことを書いている山本笑月『明治世相百話』(第一書房1936)を ここに引いた。また、巻六-38「軽気玉賣」がある。

「紙風船」が流行したのが明治26年であったという証言があった。
護謨ゴム製の風船すたり紙製の風船流行す、値段は一銭より十五銭迄。国民新聞 明治26年2月11日
これは水素ガスを入れた風船(軽気玉)と思われる。

しかし、今のわれわれなら「落下傘」というところを晴風は「風船」と言っている。「パラチウト」という語は明治7年9月13日の東京日日新聞に出ているが、「落下傘」という秀抜な造語はいつから使い出されたか。わたしは興味を持って調べているが、ポール・ルナール『航空学』という大著(大日本文明協会 大正4年1914翻訳出版 国会図書館デジタル公開 原著は1905年)の第9章に出ているのが目下わたしの知っている最も早い例。

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