画像をクリックすると、拡大する。

第七巻 24
 【 前へ : 目次 : 次へ

かつぽれ踊り

かつぽれ踊り 住吉
踊りより変化せし
ものにて是を上手に演
すれ 面白き踊りなり
就中梅坊主 八坊主
の輩最も其伎に
勝れて有名なる者なり

◆-◆

三田村鳶魚『娯楽の江戸 江戸の食生活』(中公文庫 1997)に「かっぽれの初坊主」があり、住吉踊りは古いが、かっぽれは「多分文久頃(1861~64)からのものであろう」と言っている。これを始めたのは願人坊主の平坊主へいぼうずで、この男は純乎たる大道の芸人であって、葦簀張り(ヒラキ)にも入らなかったと言っている。
かれは真個の大道芸人で、葦簀張りの下へもはいったものではなかった。町々を回って銭を貰っていた中にも、吉原の平坊主とさえいわれて、かの郭をお得意にしていたのである。(前掲書 p43)
平坊主は明治四年1871に没した。
明治二年の大火のあとに造られた火除地ひよけちの「 秋葉の原」(長文)でかっぽれを踊っていたのが「安楽坊初丸の初坊主はつぼうず」ら5、6人であるという(前掲書p43)。初坊主が「八坊主」か。

平坊主の弟が梅坊主で、明治19年に九代目市川團十郎にかっぽれを教え、團十郎が舞台で踊って大評判となった。梅坊主は願人坊主の出である事を隠さず活躍し、かっぽれを寄席芸としても有名にした。昭和2年1927に没した。

巻一-65 住吉踊 があった。

◆-◆
 【 前へ : 目次 : 次へ
inserted by FC2 system